武蔵 滝野川城
概要・現地案内板 石神井川沿いの金剛寺付近を中心に、この地の名族豊島氏の平塚城の支城であったと考えられる。文明9年(1477)太田道灌と戦い、本家豊島氏とともに滅亡し、廃城となる。また、源頼朝がかつて鎌倉へ向かう途中、こ… 続きを読む »武蔵 滝野川城
概要・現地案内板 石神井川沿いの金剛寺付近を中心に、この地の名族豊島氏の平塚城の支城であったと考えられる。文明9年(1477)太田道灌と戦い、本家豊島氏とともに滅亡し、廃城となる。また、源頼朝がかつて鎌倉へ向かう途中、こ… 続きを読む »武蔵 滝野川城
概要・現地案内板 稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯あたりに太田道灌が築城したといわれている戦国時代の砦跡です。1987年に静勝寺南方面で行われた発掘調査によって、1582年頃に普請されたとみられる城の空堀が確認されました。… 続きを読む »武蔵 稲付城
概要・現地案内板 中曽根城は、室町時代千葉次郎勝胤公によって築城された。周囲六町四方(三十六ヘクタール)でそとがまえに堀や土居をめぐらしていたと伝えられている。今も小宇に、出戸、小屋の内出などの名が残っている。当社の境内… 続きを読む »武蔵 中曽根城
概要・現地案内板 往古この地に左入城があった。中丸淡路守の居城であったと伝えられている。左入城は東西約400米、南北175米の卵形をなし、東南及び西に幅4~50米、深さ9米の空堀を巡らして、周囲は凡そ2000米に及び、西… 続きを読む »武蔵 左入城
概要・現地案内板 源平一の谷合戦の先陣争いをはじめ、数々の合戦で勇名を馳せた源氏方の侍大将、平山武者所李重。李重の居館は現在の京王線平山城址公園駅付近に、見張所はその南にそびえる丘陵尾根にあったと言われています。平山城址… 続きを読む »武蔵 平山城
概要・現地案内板 大丸城は、多摩ニュータウンの造成に先立って、昭和55年から61年にかけて三次の発掘調査が行われた。この調査により、縄文時代から江戸時代にかけての大規模な複合遺跡であることが判明し、さらに中世の城郭跡と武… 続きを読む »武蔵 大丸城
概要・現地案内板 九品寺浄真寺は、吉良氏に仕えた勇将大平出羽守の居館奥沢城に建立されたと伝えられている。現在、見られる本堂、三名堂などを含む方形の土塁は、第形状の形がよく保存されており、中世土豪の砦の規模等を探るうえで貴… 続きを読む »武蔵 奥沢城
概要・現地案内板 江戸城は長禄元年(1457)に太田道灌によって創築されたが、天正18年(1590)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が… 続きを読む »武蔵 江戸城
概要・現地案内板 高月城は、永禄年間に、武蔵国守護代であった大石顕重が築いたといわれ、滝山城に大石定重が城を移すまで、代々大石氏が居城としていた城として知られている。加住丘陵の自然の要害を利用し、秋川と多摩川の合流点近く… 続きを読む »武蔵 高月城
概要・現地案内板 この地はその昔、源頼朝に仕えた武将長沼五郎宗政一族の館(長沼城)のあった所といわれ「新編武蔵風土記稿」また江戸時代中期建立され、明治の末年廃寺となった報恩寺の跡地でもある。「古へ長沼治郎太夫本村字城山に… 続きを読む »武蔵 長沼城