遠江 曳馬城
概要・現地案内板 鎌倉時代の浜松は、「ひきま(ひくま)」と呼ばれる町でした。現在の馬込川が天竜川の本流にあたり、西岸に町屋が発達しました。「船越」や「早馬」はこの頃の地名です。戦国時代、この町を見下ろす丘の上に引間城が築… 続きを読む »遠江 曳馬城
概要・現地案内板 鎌倉時代の浜松は、「ひきま(ひくま)」と呼ばれる町でした。現在の馬込川が天竜川の本流にあたり、西岸に町屋が発達しました。「船越」や「早馬」はこの頃の地名です。戦国時代、この町を見下ろす丘の上に引間城が築… 続きを読む »遠江 曳馬城
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯あたりに太田道灌が築城したといわれている戦国時代の砦跡です。1987年に静勝寺南方面で行われた発掘調査によって、1582年頃に普請… 続きを読む »武蔵国 稲付城 [ INATSUKE CASTLE ]
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 往古この地に左入城があった。中丸淡路守の居城であったと伝えられている。左入城は東西約400米、南北175米の卵形をなし、東南及び西に幅4~50米、深さ9米の空堀… 続きを読む »武蔵国 左入城 [ SANYU CASTLE ]
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 天正8年(1580年)、筒井順慶が入城、大和国唯一の城郭として築城を開始する。同13(1585)年に入部した豊臣秀長によって本格的に整備された。文禄4(1595… 続きを読む »大和国 郡山城 [ KOORIYAMA CASTLE ]
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 高取城跡は、奈良盆地の南端、標高584mの高取山の山頂を中心に、急峻な山上の地形を巧みに利用して築かれている。何段にも重ねた石垣や喰違い虎口(出入口)、急斜面に… 続きを読む »大和国 高取城 [ TAKATORI CASTLE ]
概要・現地案内板 二本松城跡は、15世紀前半、畠山氏の居城として築城されたといわれています。その後、伊達・蒲生・上杉・松下・加藤と城主がかわり、寛永20年(1643)に丹羽光重が二本松藩10万700石で入城し、以降、丹羽… 続きを読む »陸奥 二本松城
概要・現地案内板 新府城は、天正10年3月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と… 続きを読む »甲斐 新府城
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 笠間城は、笠間氏の初代時朝の築城伝承を持ち、中世は笠間市の居城として使用されました。天正18年(1590)に笠間氏が没落すると、宇都宮氏家臣の玉生氏が、慶長3年… 続きを読む »常陸国 笠間城 [ KASAMA CASTLE ]
概要・現地案内板 「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16年(1519)に石和からこの地に、館を移したことから始まります。その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使われました。そして武田… 続きを読む »甲斐 武田氏館
概要・現地案内板 石垣山城は、天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原北条氏の本城である小田原城を水陸16万の大群を率いて包囲し、その本陣として築城されました。完成と同時に周囲の樹木を伐採し、あたかも一夜… 続きを読む »相模 石垣山城