武蔵 山口城
おいど攻城記録 山口城址通り 山口氏について平安時代の末期に村山頼任の孫にあたる家継は、この地に移り住んで地名の山口が名字になりました。山口氏は「保元物語」や「吾妻鏡」などの歴史書にもその名が記されており、武蔵武士の一員… 続きを読む »武蔵 山口城
おいど攻城記録 山口城址通り 山口氏について平安時代の末期に村山頼任の孫にあたる家継は、この地に移り住んで地名の山口が名字になりました。山口氏は「保元物語」や「吾妻鏡」などの歴史書にもその名が記されており、武蔵武士の一員… 続きを読む »武蔵 山口城
おいど攻城記録 藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉… 続きを読む »武蔵 藤橋城
城犬のおいど 攻城記録 城址碑 柳川城址 柳川藩主立花氏12万石の本拠となっていた平城跡。永禄年間(1558~1569)蒲池鑑盛入道宗雪が、支城として築いたのがはじまりと伝えられています。天守の高さは、10丈7尺5寸1分… 続きを読む »筑後 柳川城
城犬のおいど 攻城記録 二の丸跡 本丸北門跡 本丸石垣 この後ろに見えるのは加納城本丸北面の石垣です。岐阜市近傍の山で産するチャートという石を材料に積み上げられています。石は、角以外の部分には加工の跡が認められない「自然… 続きを読む »美濃 加納城
概要・現地案内板 丹波亀山城は、別名を亀宝城・霞城ともいい、織田信長の命により天正7年(1579年)ごろに、明智光秀によって築かれたお城です。天正10年(1582年)に起きた本能寺の変で、明智光秀が13000の軍勢を率い… 続きを読む »丹波 亀山城
概要・現地案内板 長尾砦址は戦国時代に小田原北条氏が築いた玉縄城の出城、長尾砦の址いわれる。しかし長尾の名は古く鎌倉以前にまでさかのぼる。この地に鎌倉武士長尾氏の館があったといい、昭和55年、農地整備に伴い横浜市埋蔵文化… 続きを読む »相模 長尾城
概要・現地案内板 長島城は、文明年間(1469~87)に伊勢国安濃郡の長野氏一族と伝えられる伊藤重晴が長島を治め築城したと言われています。その後、長島北部の杉江にあった願証寺が浄土真宗の一大拠点となると、伊藤氏は滅ぼされ… 続きを読む »伊勢 長島城
概要・現地案内板 南北朝時代の記録にも残る河村城は、戦国時代には小田原北条氏の出城でした。地理的に、北の甲斐国、西の駿河国から足柄平野へ至る北東端の入口部分に当たり、戦略上、重要な城であったと考えられます。現在の御殿場線… 続きを読む »相模 河村城
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 吉沼大坪館は栗崎城とは谷津を挟んで南側に位置しており、栗崎城の支城であったと推測されています。そして、吉沼地区には吉沼大坪館の他に、栗崎城、大祥寺城、館宿城、笠… 続きを読む »常陸国 吉沼大坪館 [ YOSHINUMAOOTSUBO RESIDENCE ]
城郭DATA -CASTLE DATA- 概要・現地案内板 浄泉寺城は、戦国時代に八王子城主である北条氏照の重臣、近藤綱秀(近藤出羽守助実)の居城であったとされています。近藤綱秀は八王子城の支城としての役割も担っていまし… 続きを読む »武蔵国 浄泉寺城 [ JYOSENJI CASTLE ]