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国指定

信濃 上田城

概要・現地案内板 上田城は真田幸村(信繁)の父、真田昌幸によって天正13年(1585)には、一応の完成をみたものと考えられている。この上田城はまもなく、天下にその名を知られるようになった。それは、この上田城に拠った真田氏… 続きを読む »信濃 上田城

信濃 松本城

概要・現地案内板 松本城は北東から南西に緩やかに傾斜した扇状地上にある平城です。戦国時代の初めに守護大名小笠原氏の支城としてこの地に深志城が築かれ、1550年に甲斐(山梨県)の武田氏が小笠原氏を追放し、深志城を信濃支配の… 続きを読む »信濃 松本城

相模 小田原城

概要・現地案内板 小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられています。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されました。豊臣秀吉の小田原攻め… 続きを読む »相模 小田原城

遠江 掛川城

概要・現地案内板 掛川城は、文明年間(1469~1486)頃今川氏の家臣が、掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。永禄12年(1569)徳川家康… 続きを読む »遠江 掛川城

越中 富山城

概要・現地案内板 昭和29年、富山城址一帯で富山産業博覧会が開催されました。これは、昭和20年8月2日未明の空襲によって、壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業完了を機に開催されたものです。その際、記念の恒久建築物として… 続きを読む »越中 富山城

甲斐 新府城

概要・現地案内板 新府城は、天正10年3月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と… 続きを読む »甲斐 新府城

甲斐 武田氏館

概要・現地案内板 「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16年(1519)に石和からこの地に、館を移したことから始まります。その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使われました。そして武田… 続きを読む »甲斐 武田氏館

相模 石垣山城

概要・現地案内板 石垣山城は、天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原北条氏の本城である小田原城を水陸16万の大群を率いて包囲し、その本陣として築城されました。完成と同時に周囲の樹木を伐採し、あたかも一夜… 続きを読む »相模 石垣山城

越中 増山城

概要・現地案内板 城は、立地条件によって平城、平山城、山城に分類されますが、増山城は典型的な山城です。山城は、山そのものに普請(土木工事)を加え、郭や堀などの防御施設を作り出すタイプのお城です。富山県内には大小400以上… 続きを読む »越中 増山城

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