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100名城・続100名城 -
別称 保木脇城、内ヶ島城、城山、帰雲城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 589.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者内ヶ島為氏
築城年寛正年間(1460〜1466年頃)
廃城年天正13年11月29日(1586年1月18日)天正地震に伴う帰雲山山体崩壊により埋没滅亡
主な城主内ヶ島氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 なし

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:589.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

帰雲城(かえりくもじょう)は、岐阜県大野郡白川村大字保木脇に所在した庄川中流域の東岸・標高1622メートルの帰雲山山麓に築かれた中世山城・居館跡である。室町幕府政所執事・伊勢氏の被官であった内ヶ島為氏が寛正年間に白川郷へ入部し、金銀鉱山開発と白川郷支配の本拠として築城した。背後に険阻な帰雲山、前面に深い谷を穿つ庄川を配した天然の要塞であった。天正13年11月29日(1586年1月18日)深夜に発生した大天変地異「天正地震」により、背後の帰雲山が大崩壊(巨大山体崩落・岩屑なだれ)を起こし、城郭、城下町数百戸、城主・内ヶ嶋氏理一族および領民数百名が一瞬にして土砂の下に埋没。城跡自体が未だ発掘・特定されていない「幻の城」として全国に知られ、国道沿いに石碑・観音像が建つ。

⚔️ 歴史的役割

白川郷および飛騨北西部の金山・流通を掌握した戦国領主・内ヶ島氏百二十余年の政治・経済・軍事の中枢拠点である。内ヶ島氏は牛首銀山などの鉱山開発で莫大な富を蓄積し、室町将軍家や本願寺門跡と密接な関係を結び自立的権力を誇った。戦国末期の天正13年(1585年)、羽柴秀吉の命を受けた金森長近が飛騨平定戦を開始すると、城主・内ヶ嶋氏理は降伏して所領を安堵され、一族の存続を確固たるものにした。しかし祝宴の最中と伝わる同年11月、直下型超巨大地震である天正地震が襲来。激甚な揺れで帰雲山が瞬時に大崩壊を起こし、城もろとも全山が埋没して内ヶ島氏は一晩にして滅亡した。一国を統治した武家大名が一夜の自然災害によって痕跡ごと地中に消滅した世界史上類を見ない悲劇の城であり、巨額の「内ヶ島埋蔵金」伝説とともに語り継がれている。

👀 見どころ

天正地震による巨大な山体崩壊の凄まじい爪痕を今なお生々しく留める「帰雲山の大崩壊跡(大崩壁)」の山容景観、国道156号線沿いに建立された「帰雲城址之碑」および内ヶ島一族・城下埋没犠牲者を慰霊する「帰雲城主内ヶ嶋公歴代精霊供養観音像」、白川郷・庄川の断崖絶壁に囲まれた天険の地勢と埋蔵金伝説のロマンを体感できる現地雰囲気、村内外の有志や研究機関によって現在も進められている城跡・埋没地探索の歴史現場、白川村教育委員会設置の解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR高山本線高山駅・白川郷バスターミナルから濃飛バス(白川郷線)で約40分「保木脇」下車すぐ、国道156号沿い帰雲城址碑(大野郡白川村大字保木脇・庄川右岸帰雲山山麓一帯、推定標高約550m、庄川平地比高約50m)

車でのアクセス

東海北陸自動車道 白川郷ICから国道156号経由で南へ車で約15分、または荘川ICから国道158号・国道156号経由で北へ約30分

駐車場

有(国道156号沿い帰雲鉱泉前駐車場・帰雲城址碑前待避スペース、普通車無料約10台)

📍 周辺地図

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