概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
桜洞城(さくらぼらじょう)は、岐阜県下呂市萩原町桜洞に所在する飛騨川東岸の標高約400メートル(比高約35メートル)の河岸段丘台地先端部に築かれた中世平山城・館城跡である。下呂市指定史跡。室町後期に益田郡を領した国人・三木近綱によって築かれたと伝わる。背後の山上に位置する詰城「萩原諏訪城(夏城)」に対し、当城は平時の居館・政庁として用いられ「冬城」とも称された。城域は段丘面上に主郭(本丸)を中心に二の丸、三の丸、馬場、家臣団屋敷地を平坦に造成。背後からの進攻を遮断する深大な堀切や空堀、曲輪縁辺部を取り巻く土塁、巨石・山石を用いた石積み(石垣)、段丘崖を活かした切岸、籠城用井戸跡が明瞭に遺存する。飛騨南部における三木氏の政治・軍事中枢として約百年にわたり繁栄を極めた遺構である。
歴史的役割
飛騨国司・姉小路氏を名乗り飛騨全土を武力統一した戦国大名・三木(姉小路)自綱の権力基盤となった最重要拠点である。三木氏は当城を本拠として飛騨南部から勢力を拡大。自綱は織田信長と同盟を結んで飛騨北部の江馬氏ら敵対勢力を滅ぼし、飛騨一国支配を確立した。しかし天正10年(1582年)の本能寺の変後、自綱は柴田勝家や佐々成政と結んで羽柴秀吉(豊臣秀吉)と敵対。天正13年(1585年)、秀吉の命を受けた越前大野城主・金森長近率いる大軍が飛騨平定戦を開始すると、桜洞城は越前・美濃境から侵攻した金森軍の猛攻に晒され激戦の末に落城。自綱は高堂城等へ退くも降伏し、三木氏は滅亡して城も廃城となった。飛騨の中世領主が築いた「本城居館(冬城)と山城詰城(夏城)」の二重構造を如実に示す記念碑的遺跡である。
見どころ
段丘面上に広大に削平された「主郭跡(本丸跡)」および「二の丸・三の丸」の屋敷平坦面遺構、台地基部からの敵の侵入路を鋭利に遮断する深大な「大堀切」および「空堀」・「横堀」痕跡、主郭縁辺部に遺存する重厚な防衛用「土塁」および山腹を急峻に削り落とした「切岸」、曲輪境界に散見される中世の「石積み(石垣)」痕跡、城内の一角に残る籠城用の「古井戸跡」、下呂市指定史跡標柱および詳細な縄張解説案内板、城跡から見渡す桜洞集落・飛騨川の清流・対岸の萩原盆地および背後の萩原諏訪城跡(詰城)の山並み景観
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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