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100名城・続100名城 -
別称 岩屋山城、四王寺城、岩屋城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 278.1m
最終訪問日 2026-03-21

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者高橋鑑種
築城年天文年間(1532~1555年)
廃城年天正15年(1587年)
主な城主高橋氏、島津氏、秋月氏、立花氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:278.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

岩屋城は、福岡県太宰府市大字観世音寺の四王寺山南西中腹、標高約281メートル(比高約230メートル)の尾根筋上に築かれた戦国時代の山城跡である。大宰府政庁跡や観世音寺、水城を見下ろす要衝に占地し、背後の大野城跡と連動して筑前中央部を扼する。山頂の本丸(主郭)を中心に帯曲輪が巡り、北側背後の尾根筋を堀切と土塁で遮断している。本丸南西下段には二の丸(高橋紹運墓所付近)が配され、南東へ派生する尾根上には多数の堀切や竪堀、階段状の削平段、畝状竪堀群などの土木遺構が山林内に良好に遺存している。主郭跡には「嗚呼壮烈岩屋城址」の巨大な石碑が立ち、太宰府市内外を一望できる。

⚔️ 歴史的役割

大友氏の有力武将・高橋鑑種によって宝満山城の支城および筑前支配の拠点として天文年間に築かれたと伝わる。鑑種が大友宗麟に反乱を起こして追放された後、吉弘鑑理の次男・高橋鎮種(高橋紹運)が入城した。天正14年(1586年)7月、九州制覇を狙う島津義久は島津忠長・伊集院忠棟ら率いる2万余の大軍を派遣し岩屋城を包囲(岩屋城の戦い)。紹運はわずか763名の手勢とともに徹底抗戦し、約半月にわたり大軍を釘付けにした末、城兵全員とともに玉砕・討死した。この壮絶な遅滞戦によって島津軍は甚大な被害を受け、豊臣秀吉による九州征伐軍の到着を許す決定打となった。天正15年の九州平定後、立花宗茂によって奪還されたのち廃城となった。

👀 見どころ

本丸背後を遮断する堀切および土塁遺構、南東尾根筋に刻まれた連続堀切・竪堀および畝状竪堀群、本丸跡に建立された「嗚呼壮烈岩屋城址」石碑、二の丸跡に佇む忠臣・高橋紹運の墓(胴塚)および辞世の句碑、本丸から大宰府政庁跡・水城・福岡平野を一望する絶景

🍲 ご当地グルメ


城犬のおいど 攻城記録


岩屋城跡(本丸跡)


岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)宝満城の支城として豊後大友氏の武将高橋鑑種によって築かれた。同12年彼は主家大友宗麟に叛き城を追われ、代わって吉弘鎮理(後の名称高橋紹運)が城主となった。

紹運は天正14年(1586)九州制覇を目指す島津5万の大軍を迎え撃ち、激戦十余日、秀吉の援軍到着を待たず玉砕し落城した。
※現地看板より

九州自然道


本丸


城址碑


岩屋城跡


この場所は、岩屋山(標高281m)と称し、戦国時代には岩屋城の本丸(甲の丸)であったと伝えられている。林道で分断された南側下方には二の丸跡があり、1586年の岩屋城の合戦で討死した城主の高橋紹運の胴塚がある。また、この主郭の周囲から山麓にかけての広範囲に、曲輪(平坦面)、竪堀、堀切も残されている。

また、本丸跡にある「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑は、昭和30年に高橋紹運の家臣の子孫によって建てられたものである。
※現地案内板より

筑前国分寺跡


741年全国に造られた国分寺のひとつ。巨大な塔心礎が残る塔跡や講堂の基壇が整備され、近くの文化ふれあい館には七重塔の復元模型がある。
※現地案内板より

岩屋山


腰曲輪


高橋紹運公並びに勇士の墓


戦国の武将高橋紹運は23歳で岩屋城主となり名称の誉れ高かった。天正14年(1586)北上した島津5万の軍と戦い、城兵763名と共に玉砕した。時に、39歳であった。紹運以下勇士たちここ二の丸趾に眠る。
※現地看板より

高橋紹運公墓へ


二の丸


墓所


当所は、高橋紹運公ならびに、家来衆の墓所であり、私有地であります。したがって墓参以外での立ち入りを禁じます。又、供物は参拝者が責任をもってお持ち帰り下さいますようお願い致します。
※現地看板より

岩屋城戦列者之碑


高橋紹運公碑銘


段曲輪


堀切


2026/3最終訪問


🧭 周辺の城郭マップ

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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄太宰府線太宰府駅または西鉄都府楼前駅から太宰府市民の森登山口経由で山道徒歩約35分(またはコミュニティバス「まほろば号」で「大宰府政庁跡」下車、徒歩約40分)

車でのアクセス

九州自動車道 太宰府ICから県道および四王寺林道経由で北東へ車で約15分、または福岡都市高速環状線 水城出入口から約15分

駐車場

有(岩屋城跡登城口付近路側スペース、無料約2台/または焼米ヶ原駐車場・四王寺県民の森駐車場)

📍 周辺地図

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「筑前 岩屋城」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 筑後 高橋城 | 城犬のおいど

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