概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(本丸隅櫓2棟復元・西隅櫓・東隅櫓) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(登城門復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(本丸・登城門周辺土塀復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:大手門、先:福成寺山門伝承) |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
出石城(いずしじょう)は、兵庫県豊岡市出石町内町に所在する有子山(標高約321メートル)の北麓緩傾斜地に築かれた近世平山城跡である。豊岡市指定史跡、続日本100名城(162番)。但馬守護・山名氏の詰城であった山頂の有子山城を廃し、慶長9年(1604年)に但馬出石藩初代藩主・小出吉政が山麓に築いた。山裾の斜面を階段状に削平して最上段に稲荷曲輪を置き、本丸、二の丸、三の丸、下郭を階段状に展開させた梯郭式縄張を持つ。天守は築かれず本丸に天守代用の三層櫓や平櫓が配された。江戸初期の野面積みから打込接ぎに至る見事な高石垣群、堀、土塁、稲荷参道の石段が極めて良好に残る。昭和43年(1968年)に本丸の西隅櫓および東隅櫓が外観復元され、平成6年(1994年)には木造で登城門と登城橋が再建。城下町出石のシンボルとして但馬の小京都の風情を今に留める。
歴史的役割
但馬国南部から日本海側を結ぶ出石川流域の陸水交通の結節点を統制し、近世出石藩5万8千石(のち仙石氏3万石)の政治・経済・軍事の統治中枢として機能した。中世山名氏の山岳城郭・有子山城から平野部の近世城郭への転換を示す典型例であり、山麓城郭と背後詰城の一体性を保ちつつ近世城下町の形成を促進した。小出氏が3代続いた後、松平氏を経て宝永3年(1706年)に信濃上田藩より仙石政明が移封。この際、仙石氏とともに信州からそば打ち職人が移住したことが名物「出石皿そば」の発祥となった。天保年間には幕末の三大御家騒動の一つ「仙石騒動」の舞台となり藩領が削減された。明治維新まで仙石氏が代々城主を務め、廃城後は建造物の大半が取り壊されたが、城下町の町割や時計台「辰鼓楼」とともに近世城郭の威容を保ち続けている。
見どころ
本丸や二の丸・下郭を取り巻く荒々しい野面積みおよび打込接ぎの雄大な「高石垣」群、木造外観復元された本丸の「西隅櫓」および「東隅櫓」、復元された木造の「登城門」と「登城橋」および「水堀」景観、最上段に鎮座する有子山稲荷神社へと続く幾重もの「朱塗りの鳥居列」と石段、本丸平坦面から見下ろす重伝建地区「出石城下町」と辰鼓楼のパノラマ眺望、背後の有子山頂へ続く国史跡「有子山城跡」への登山ルート、豊岡市教育委員会設置の解説案内板および続日本100名城スタンプ設置場所(出石観光案内所・いずし観光センター)