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100名城・続100名城 -
別称 将監城、西勝原城、勝原要害、勝原城跡
城址碑 あり
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 361.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・階郭式複合
築城者二宮左近将監(二宮氏)
築城年室町時代後期(戦国時代)
廃城年文明11年(1479年)頃朝倉氏の攻撃により落城・廃城
主な城主二宮氏、斯波氏、朝倉氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:361.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

勝原城(かどわらじょう)は、福井県大野市西勝原に所在する九頭竜峡谷の出口、九頭竜川が東・北・西の三方を大きくΩ字状に穿つ標高約380メートル(比高約120メートル)の険峻な山稜頂部に築かれた中世山城跡である。通称「将監城(しょうげんじょう)」。大野市指定史跡。越前守護・斯波氏の重臣であった二宮左近将監が、下剋上によって台頭する朝倉孝景に対抗して立て籠もった最後の抵抗拠点として著名である。山頂の主郭(1郭)を中心に南北に伸びる尾根上に段状の曲輪群を展開。北側最高所には枡形状の空間や土塁が巡る曲輪を配し、尾根基部を幅広の箱堀状空堀や城内最大級の二重堀切で厳重に遮断している。斜面には竪堀や切岸、主郭周辺の石積み痕跡、出丸には将監の墓塔と伝わる五輪塔が遺存する。三方を断崖絶壁と奔流に囲まれた天険の山城である。

⚔️ 歴史的役割

室町中期の越前争乱において、旧守護・斯波氏被官勢力が新興の朝倉氏に対して繰り広げた「斯波・朝倉抗争」の終焉を象徴する軍事拠点である。応仁の乱期、朝倉孝景は斯波義敏を追放して越前支配を確立しつつあったが、斯波氏譜代の重臣である二宮左近将監は朝倉氏への服属を拒否。美濃国境へと続く白鳥街道・越前勝山街道を抑える奥越前の要衝・勝原の険阻な要害に立て籠もり頑強な抵抗を続けた。しかし文明11年(1479年)頃、朝倉軍の総攻撃を受けて落城。将監は直下の九頭竜川の急流に身を投げて自刃したと伝えられ、川中の奇岩は「将監岩」と呼ばれ伝承を残す。当城の落城により斯波氏の越前奪還作戦は完全に頓挫し、朝倉氏の越前一国支配が名実ともに確立された。奥越前における中世領主層交代劇の歴史を刻む激戦の遺構である。

👀 見どころ

九頭竜川の激流を天然の水堀とした断崖絶壁上の要害立地、尾根続きからの侵入を鉄壁に遮断する城内最大の「二重堀切」および「箱堀状空堀」・「竪堀」遺構、主郭や北端郭の虎口周辺を取り巻く重厚な「土塁」および山腹を削り落とした険峻な「切岸」、主郭周辺に遺存する織豊期以前の古態を示す「石積み」痕跡、出丸曲輪に今も静かに残る「二宮将監の墓塔(石造五輪塔)」、直下の九頭竜川曲流部に位置し将監投身の悲話が伝わる「将監岩」、山頂から見下ろす九頭竜峡谷の激流・西勝原集落および奥越の雄峰・荒島岳(日本百名山)を望むパノラマ眺望景観

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺の城郭マップ

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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR越美北線(九頭竜線)勝原駅から北西へ徒歩約15〜20分、またはJR越前大野駅から京福バス(勝原線等)で約25分「西勝原」下車徒歩約5分、西勝原集落内の九頭竜川沿い登城口(または西勝原第三発電所対岸尾根取付き)より主郭まで登山約20〜25分(大野市西勝原字城山・九頭竜川蛇行部南岸独立山稜一帯、主郭標高約380m、九頭竜川平地比高約120m)

車でのアクセス

中部縦貫自動車道 勝原ICから国道158号経由で西へ車で約3分、または大野ICから国道158号経由で東へ約15分

駐車場

なし(西勝原集落公民館周辺または国道158号旧道沿いの拡幅路肩スペースを利用、約2〜3台)

📍 周辺地図

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