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100名城・続100名城 145番
別称 根古屋城、興国寺城跡、沼津興国寺城
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 35.7m
最終訪問日 2024-11-17

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者北条早雲
築城年文明年間(1469〜1487年)頃
廃城年慶長12年(1607年)
主な城主北条氏、今川氏、武田氏、徳川氏、天野氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:35.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

興国寺城(こうこくじじょう)は、静岡県沼津市根古屋の愛鷹山南西麓から浮島ヶ原(駿河平野低地)に突き出た標高約25メートル(比高約15メートル)の舌状段丘先端部に築かれた平山城跡である。国指定史跡、続日本100名城。戦国大名後北条氏の祖・伊勢宗瑞(北条早雲)の旗揚げ(最初の拠点城)の城として名高い。低地側から北に向かって本丸、二の丸、北曲輪、大空堀、西曲輪、清水曲輪などが連郭式に直線状に配されている。本丸北背後を画する大空堀は深さ約10メートル・幅約20メートルに及び、東日本屈指の規模を誇る。また、本丸北西隅には後背を固める高さ約5メートルに達する壮大な土塁および天野康景時代の野面積み石垣(天守台・櫓台状遺構)が良好に残存する。発掘調査では掘立柱建物跡や鍛冶工房跡、三つ葉葵紋瓦などが検出され、史跡公園として整備されている。

⚔️ 歴史的役割

室町後期、駿河今川氏の内紛を調停した功績により、伊勢宗瑞(北条早雲)が今川氏親から興国寺領を与えられて入城し、ここを拠点として伊豆討ち入り(伊豆平定・後北条氏興起)を果たした。戦国中期から後期にかけては東駿河の領有をめぐり、後北条氏・武田氏・今川氏・徳川氏の間で幾度も争奪戦が展開された。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後は徳川家康の領有となり、天正18年(1590年)の家康関東移封に伴い豊臣系大名の中村一氏の支城となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、家康の側近「徳川三傑・三河三奉行」の一人である天野康景が1万石で入封して興国寺藩を開いた。康景は石垣普請や陣屋機能の強化を進めたが、慶長12年(1607年)に領内で起きた足軽殺害事件の裁きをめぐり康景が出奔・改易となり、城も廃城となった。

👀 見どころ

本丸と北曲輪を峻烈に分断する深さ約10m・幅約20mの巨大な大空堀(堀切)遺構、本丸北西隅にそびえる高さ約5mの重厚な土塁および天野康景期の野面積み石垣(櫓台・天守台跡)、本丸を取り巻く切岸や腰曲輪・三の丸の土木遺構群、北条早雲の旗揚げ城郭としての由緒を顕彰する城址碑および穂見神社・案内板、標高25mの本丸土塁上から富士山・愛鷹山および旧浮島ヶ原低地・駿河湾方面を見渡す交通要衝ならではの展望景観

🍲 ご当地グルメ


概要・現地案内板

興国寺城は、戦国大名北条早雲(伊勢宗瑞)が初めて城主となった城であり、彼の旗揚げの城としても有名な城です。
早雲ははじめ伊勢新九郎長氏と称し、駿河守護今川義忠の側室であった妹を頼って今川家に身を寄せていましたが、義忠の急死後、今川家の相続争いをまとめた功績によりこの城を与えられ、その後伊豆国を治めていた堀越公方の内紛に乗じて足利茶々丸を滅ぼし、伊豆国の領主となって韮山城に移り、戦国大名へと成長しました。
その後、興国寺城は、駿河・甲斐・伊豆の境目に位置していたために、今川・武田・後北条氏の争奪戦の渦中に置かれ、城主が目まぐるしく替わりました。
天文年間に今川義元が小規模な構造の城であった興国寺城を普請し、地域を拡大しました。永禄年間には駿河に侵入した後北条氏の城となり、武田信玄の攻撃を退けました。
元亀年間の武田・後北条の同盟成立以降は武田方の城となり、武田一門穴山梅雪の持城となりました。
天正10年(1582)に武田勝頼が滅亡した後、城主の曽根下野守正清が開城し、徳川方の城となり、家康の関東移封後は豊臣秀吉の武将、中村一氏の家臣河毛重次が城主となりました。関が原の合戦後には、三河三奉行の一人で、「どちへんなしの三郎兵衛」と称された、天野三郎兵衛康景が城主となりましたが、康景の逐電により廃城となりました。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


駐車場


三の丸にある駐車場

本丸


高尾山穂見神社


根古屋の「力石」


この石は、根古屋出荷組合に置いてありました。明治・大正・昭和の初期頃まで村人が集まり肩までかついで力比べをした石です。重さは110kgあり丸くて持ちにくいのでかつげる人は少なかったそうです。
※現地看板より

北条早雲・天野康景の碑


続日本100名城スタンプ


いつでも押せるスタンプ

天守台石垣


天守台


大手道


本丸土塁


西櫓台


大空堀


三の丸



🧭 周辺の城郭マップ

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現在の城 訪問済 名城 一般
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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東海道本線原駅から徒歩約25〜30分、または原駅からミクマ・根古屋方面行き富士急シティバスで「根古屋」下車徒歩約5分(沼津市根古屋・興国寺城跡公園、標高約25m、比高約15m)

車でのアクセス

東名高速道路 沼津ICまたは新東名高速道路 駿河湾沼津スマートICから国道1号バイパス経由で西へ車で約10〜15分

駐車場

有(興国寺城跡駐車場、無料約20台)

📍 周辺地図

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