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100名城・続100名城 137番
別称 北ノ庄城、福居城、福井城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 あり
標高 16.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平城
曲輪配置同心円状輪郭式
築城者結城秀康
築城年慶長6年(1601年)着工・慶長11年(1606年)頃完成
廃城年明治4年(1871年)
主な城主結城氏(松平氏)
指定文化財都道府県指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造複合式 天守形式望楼型
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門あり(御廊下橋木造復元、山里口御門木造復元)
現存土塀なし 再建土塀あり(山里口御門周囲土塀木造復元)
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門あり(元:不明、先:市内寺院山門伝承等)
遺構 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:16.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

福井城(ふくいじょう)は、福井県福井市大手三丁目に所在する足羽川北岸の沖積平野中央に築かれた越前福井藩親藩越前松平家(結城家)67万石(のち32万石)の本拠たる近世平城跡である。「北ノ庄城」の城域を包括拡張して造営され、福井県指定史跡、続日本100名城に選定。徳川家康の次男・結城秀康が慶長6年に着工し、全国諸大名を動員した天下普請により完成させた。本丸を中心に二の丸、三の丸などを幾重にも同心円状に配した輪郭式平城で、四重五階の壮麗な巨天守がそびえ、笏谷石(しゃくだにいし)を多用した重厚な切込接ぎ・打込接ぎ高石垣と最大幅約40メートルの広大な水堀が巡らされた。寛文9年の大火で天守は焼失した後は再建されず天守台のみが残された。現在は本丸跡に福井県庁舎や県議会議事堂が建つ全国的にも極めて珍しい城郭利用形態を呈しているが、近年は「御廊下橋」や「山里口御門」が木造復元され、往時の威容を美しく蘇らせている。

⚔️ 歴史的役割

織田信長家臣の柴田勝家が築いた中世北ノ庄城の跡地に、徳川家康の命により親藩・越前松平家の本拠として新造された。徳川一門の筆頭格大名として加賀前田家を監視・牽制する軍事・政治的重責を担い、「北ノ庄」から不吉を嫌い「福居」、のちに「福井」へと改称され、これが現在の県名・市名の起源となった。江戸後期には名君として知られる16代藩主・松平春嶽(慶永)を輩出し、幕末の政局を主導したほか、橋本左内や由利公正らを登用して藩政改革と近代化を推進した。明治4年の廃藩置県で廃城となった後、本丸跡が福井県行政の中枢となり県庁が置かれた。昭和23年(1948年)の福井地震で天守台石垣の一部が崩壊・沈下した生々しい痕跡を今に留める。平成以降、福井県による城址整備計画のもとで御廊下橋や山里口御門が史実通りに復元され、越前国の中心拠点としての歴史的景観を後世へと伝えている。

👀 見どころ

雨に濡れると青緑色に美しく発色する越前特産笏谷石で築かれた圧巻の「本丸高石垣」および「天守台石垣」、福井地震(1948年)で石垣が崩落・角部が沈下した震災の爪痕を伝える「天守台崩落石垣遺構」、城郭・県名の起源となった天守台脇の銘水「福の井(井戸跡)」、本丸と西三の丸を結ぶ屋根付きの木造復元橋「御廊下橋」、発掘調査と絵図に基づき平成30年に忠実木造復元された「山里口御門(枡形門・渡櫓・控長屋・土塀)」、本丸を取り囲み白鳥が憩う広大な「本丸水堀(内堀)」、本丸中央に現役の県庁舎・県議会が鎮座する稀有な近世・現代融合景観、福井県指定史跡碑・案内板

🍲 ご当地グルメ



概要・現地案内板

天正3年(1575)に織田信長は重臣柴田勝家へ越前8郡をあたえましたが、その際に勝家は足羽川と北陸道が交わる交通の要所であった北庄(後の福井)に城を築きました。
その後、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で東軍(徳川方)が勝利すると、結城城主であった結城秀康(1574~1607)は、父徳川家康から越前国68万石を拝領して、初代福井藩主となりました。
翌年、越前に初入国した秀康は、直ちに福井城(当時の名称は北庄城)の大修築に取り掛かり、同11年には4層5階の天守のある壮大な城が完成しました。
福井城は平地に造られた平城で、本丸を中心に、お堀と郭(曲輪)が4重、5重に取り囲む環郭式城郭と呼ばれるものです。
本丸の西側、福井市役所の北側に位置する中央公園は、西二ノ丸や西三ノ丸のあった場所で、西三ノ丸には藩主の住居である御座所が設けられていました。
また、西三ノ丸の西方には、大名広路(現在のフェニックス通り)があり、通りに面して家老職などを勤める上級家臣(高知席)の屋敷が建ち並んでいました。

※現地案内板より


城犬のおいど 攻城記録


御本城橋


瓦御門跡


月見櫓跡(坤櫓跡)


結城秀康騎馬像


慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、越前68万石の大名となった結城秀康公(徳川家康の次男)は、翌6年に北庄(後の福井)に入り、新しい城の建設と、柴田勝家にはじまる城下町の大改造に着手した。

多くの民の力と汗に支えられ、およそ6年の歳月をかけて完成した城下は、都市としての福井の原型をかたちづくり、今日の福井市発展の礎となった。
※現地石碑より

福井城址のご案内


ここは、福井城の本丸跡で、周囲の内堀は往時のままです。 福井城は慶長6年~11年(1601~06)に徳川家康の次男、 結城秀康によって築城されました。 秀康時代の福井城の建物は寛文9年(1669)に焼失してしまいましたが、 図は焼失以前の福井城本丸の様子を復元したものです。

藩の権威を象徴していたのが本丸の北西隅に聳えていた天守で、 高さが約30mという壮大な建物でした。 中央には藩政において最も重要な本丸御殿がありました。 北東・南東・南西の各隅間には3つの橋が建っていました。 南側の御本城橋が本丸への正式な通路で、この橋を渡ると、 本丸の正門である瓦御門がありました。 西側には屋根付きの御廊下橋もかかっていました。 現在の御廊下橋は平成20年に資料に基づいて再建されたものです。
※現地看板より

福井城跡碑


福井城天守


福井藩の初代藩主結城秀康は、慶長6年(1601)から約6年をかけて福井城(北庄城)を築城し、 本丸には壮大な天守が偉容を誇っていた。残されている天守絵図によれば、外観は4層であるが、最下層の階高を高くとって2階分の床を張っており、 内部が5階になっている。 絵図では高さが、約28メートルあり、天守台を含めると約37メートルにもなる。

今に残る天守台と控天守台には、大きな礎石が並んでおり、 天守台の北半分に天守が建っていたのであろう。 四層五階の壮大な天守も、寛文9年(1669)4月の大火で焼失して以来、再建されることはなかつた。
※現地看板より

「福の井」の歴史


「福の井」は慶長6年(1601)の北ノ庄城(後の福井城)築城当時からあった 井戸と考えられます。 安永4年(1775)の「御城下絵図」の天守台には「福井」 と記された井戸が描かれています。 この頃には一般に「福の井」と呼ばれ、福井城の 特別な井戸となっていたことがうかがえます。

福井藩の正史である「越前世譜」に「北庄を福井と御改候事(天守之傍ニ福井と云名井有、其名ニ依而被改之)」とあるように、名井「福の井」が福井の名の由来になったという説も生まれました。しかし実際は、寛永元年(1624)、福井藩第3代藩主松平忠昌が「北ノ庄」の名は敗北につながるとして「福居」に改名し、それが1700年頃に「福井」となったと考えられています。 昭和23年(1948)の福井地震では、本丸の石垣がいたる所で崩れました。

「福の井」は崩壊することはありませんでしたが、井戸の形が大きく歪んだことから、震災後に井戸枠が大きく作り変えられました。
※現地看板より

控天守台跡


この控天守台跡の石垣には福井震災(1948年6月)等による崩壊の跡が残っています。厳しい自然の力が感じられるとともに築城以来の悠遠なる時の流れに思いを馳せることができます。
※現地看板より

天守礎石


控天守台跡


刻印


御廊下橋御門(山里口御門)


御廊下橋


関ヶ原の戦いの後、越前に封じられた福井藩初代藩主結城秀康によって築かれた福井城は、本丸を中心に、堀と郭が幾重にも巡らされる典型的な環郭式平城で、徳川家康の次男の居城に相応しい壮大な城郭でした。
 

本丸内には、政庁と藩主の居住部分を合わせた床面積一千坪を超える御殿がありましたが、歴代藩主の内、昌親(後、吉品)・重富・治好・慶永(春嶽)・茂昭の5人は、現在の中央公園にあった西三ノ丸御座所に居住していたとされます。(松平春嶽著「真雪草紙」) 藩主が政庁であった本丸と西三ノ丸御座所とを往復するための専用の橋が、御廊下橋でした。明治初期に撮影された写真(福井市立郷土歴史博物館蔵)によると、この橋は屋根付きの珍しい形態でした。
※現地看板より

本丸堀


二の丸


2024/9最終訪問


🧭 周辺の城郭マップ

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現在の城 訪問済 名城 一般
半径 10km 圏内の城郭(0 城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR北陸新幹線・ハピラインふくい線福井駅西口から徒歩約5分、またはえちぜん鉄道福井駅から徒歩約7分、福井鉄道福井城址大名町駅から徒歩約3分(福井市大手三丁目・福井県庁敷地一帯、標高約9m、比高約0m)

車でのアクセス

北陸自動車道 福井ICから国道158号経由で西へ車で約10〜15分、または福井北ICから車で約15分

駐車場

有(福井県庁外来駐車場利用、本丸内有料約100台/周辺有料駐車場多数)

📍 周辺地図

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