概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(外観復元模擬天守) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(天守周辺塀復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:城門伝承、先:市内寺町本興寺等) |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
尼崎城(あまがさきじょう)は、兵庫県尼崎市南城内に所在する庄下川と旧大物川のデルタ地帯(標高約2メートル)に築かれた尼崎藩5万石の本拠たる近世平水城跡である。「琴浦城」とも称され、尼崎市指定史跡。元和3年に譜代大名・戸田氏鉄が徳川幕府の命を受けて築城した。本丸を中心に右回りに二之丸、松之丸、南浜、東三之丸、西三之丸が渦巻き状に巡る極めて珍しい渦郭式縄張を持ち、外周には三重の堀を廻らせて大阪湾の水を引き入れた堅固な海城であった。四層四階の壮麗な層塔型白漆喰天守がそびえたが、明治の廃城令で破却され石垣も尼崎港修築に転用された。平成30年(2018年)に旧ミドリ電化創業者・安保詮氏の私財寄付等により、西三之丸跡の尼崎城址公園内に四層五階の天守が外観復元され、尼崎の新たなシンボルとなっている。
歴史的役割
大坂夏の陣(1615年)直後、徳川幕府が直轄地とした大坂城の西の防衛線を固め、西国大名に対する抑えとして築かせた軍事・政治の最重要拠点である。一国一城令の徹底下において例外的に新規築城が命じられた城郭群(明石城・福山城等)の先駆けであり、5万石の小藩としては異例の大規模な縄張と四層天守を誇った。戸田氏鉄ののちは青山氏4代、正徳元年(1711年)からは譜代の名門・櫻井松平家が7代にわたり明治維新まで統治。大坂城代就任時の入城儀礼に招待されるなど幕府から特別な厚遇を受けた。城下町には中国街道が取り込まれ、水運と陸上交通の要衝として栄えた。最後の藩主・松平忠興は幕末の動乱を切り抜け、後に日本赤十字社の前身である博愛社の創設に深く関わるなど近代日本の医療・福祉発展にも大きな足跡を残した。
見どころ
絵図や古写真に基づき平成30年に西三之丸跡へ外観復元された四層五階の優美な白亜の「復元天守(尼崎城展示施設)」、天守台を支える新公認の美しい「打込接ぎ石垣」および復元「土塀」、海水を引き込み海城の面影を現代に伝える「庄下川(城郭外堀水路)」の景観、本丸跡の明城小学校敷地内に建つ「尼崎城跡石碑」および「本丸復元模型」、城下西側に防壁として寺院を集積させた壮麗な歴史景観が残る「寺町(重伝建級寺院群)」、本興寺や市内寺院に遺存する「城門移築伝承門」、歴代城主を祀り本丸御殿の鬼瓦や櫓鯱を保存する「櫻井神社」、天守内に展示されたVR城下町体験や火縄銃体験コーナー、尼崎市指定史跡碑・解説案内板
ご当地グルメ

城犬のおいど 攻城記録
駐車場



入口


床打ち映像

鯱
「鯱しゃちほこ」は想像上の生き物で頭は鯱または虎ともいわれ、身体は魚。空に向かって反り返る尾を持っている。火事になると口から水を吐き出して消してくれるという伝説から火事除けの守り神としての役割がある。
展示品は左側のオスの方が4尺2寸で約6㎝大きい。メスは4尺。
※現地説明版より


徳川家康 金陀美具足

名城手拭百城
名城手拭百城は、萩原一青がデザインを描き、日本の染めの伝統技法「注染」で染め上げた、手拭コレクションです。


展望ゾーン











