概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
岩殿城(いわどのじょう)は、山梨県大月市賑岡町畑倉に所在する桂川北岸に屹立する標高約634メートル(比高約280メートル)の険峻な礫岩巨岩峰「岩殿山」頂部一帯に築かれた中世屈指の山城跡である。大月市指定史跡。郡内地方を領した有力国衆・郡内小山田氏が本拠として築城・拡張した。南面を垂直に切り立つ「鏡岩」をはじめとする巨大な岩壁群に囲まれた天険の要害で、最高所の本丸(主郭)を中心に東の丸、西の丸、南郭、帯曲輪群を階段状・連郭状に配する。背後や尾根筋からの進入路を遮断する深大な堀切や空堀、竪堀、主郭周辺の野面積み石垣(石積み)、強固な土塁、山腹を削り落とした切岸、断崖上でも水を絶やさなかった「亀ヶ池(湧水井戸跡)」が良好に遺存する。甲斐武田氏の領国東部(東郡・郡内)の境目の城であり、久能山城・岩櫃城とともに武田の三名城(三堅城)に数えられた難攻不落の要塞である。
歴史的役割
甲斐国と武蔵・相模を結ぶ甲州街道および笹子峠の東側咽喉部を扼する軍事・防衛の最前線拠点として、戦国武田軍団の興亡史において決定的な歴史的役割を果たした。小山田氏は武田信虎・晴信(信玄)・勝頼の三代にわたり忠誠を尽くし、当城は北条氏政や小田原北条軍に対する鉄壁の防壁として機能した。天正10年(1582年)の織田信長・徳川家康による甲州征伐において、新府城を焼き捨て逃れてきた武田勝頼に対し、城主・小山田信茂は当城での籠城を提案・誘導しながら突如として笹子峠で道を塞ぎ勝頼を裏切った。進退窮まった勝頼一行は天目山(田野)へ退いて自刃し、名門甲斐武田氏は滅亡した。しかし裏切った信茂も織田信忠に不忠を咎められて善光寺で処刑され、小山田氏も滅亡。同年の天正壬午の乱を経て廃城となった。戦国乱世の悲劇と武田氏落日を今に証言する第一級の史跡である。
見どころ
鏡岩の垂直断崖真上に削平された広大な「本丸跡(主郭)」および尾根筋に連なる「東の丸・西の丸・蔵屋敷」の連郭式曲輪群、尾根続きからの進攻を鋭利に遮断する深大な「大堀切」および斜面に掘削された「竪堀」・「空堀」遺構、主郭縁辺部に遺存する「野面積み石垣(石積み)」および「土塁」、山腹を削り落とした威圧的な「切岸」、長期籠城を支えた山上要害の「亀ヶ池(古井戸跡)」および「馬場跡」、垂直に切り立つ高さ約150mの巨岩絶壁「鏡岩」の威容、山頂展望台から眼下に広がる大月市街・桂川の渓谷および富士山を真正面に望む秀麗富嶽十二景の絶景パノラマ、登城口の岩殿山ふれあいの館歴史展示および詳細な縄張解説案内板