概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | あり(本丸御殿復元) |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(隅櫓復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(埋門復元・本丸門復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(本丸白漆喰土塀・多門櫓風土塀復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:大手門または城門、先:因念寺山門伝承) |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
龍野城(たつのじょう)は、兵庫県たつの市龍野町上霞城に所在する鶏籠山(標高約218メートル)南西麓の緩斜面段丘上に築かれた近世平山城(陣屋風城郭)跡である。たつの市指定史跡。明応7年(1498年)に播磨守護赤松氏の分家・赤松村秀が山頂に「鶏籠山城」を築いたことに始まり、戦国期を経て織田・豊臣政権下で木下氏らが山麓に平山城を整備した。万治元年(1658年)の京極氏改易時に一度破却されたが、寛文12年(1672年)に信濃飯田より入封した脇坂安政が幕府の許可を得て平山城・陣屋形式として再興。本丸には壮麗な御殿を配し、周囲を野面積みおよび打込接ぎの石垣と白漆喰土塀で囲繞した。昭和54年(1979年)以降、発掘調査に基づき本丸御殿、隅櫓、埋門、白漆喰塀が木造忠実復元され、山裾に広がる重伝建地区の龍野城下町とともに「播磨の小京都」の象徴的景観を形成している。
歴史的役割
西播磨の中核として揖保川水運および出雲街道を眼下に扼する政治・経済・軍事の要衝として機能した。中世には塩田・龍野赤松氏が山城・鶏籠山城に拠って東播磨や山名氏に対峙。天正5年(1577年)の織田信長による播磨平定(羽柴秀吉の中国攻め)に際し無血開城した。近世初頭には福島正則の父・正澄、木下広貞、本多政朝ら有力大名が相次いで在城し山麓城郭を拡張。脇坂氏入封後は5万3千石の龍野藩庁として明治維新まで10代にわたり安定した統治を続けた。延宝元年(1673年)には赤穂事件で名高い浅野内匠頭が受取正使を務めた脇坂安照が赤穂城開城を受領する歴史的舞台ともなった。中世山城(鶏籠山城)から近世山麓城郭(龍野城)への移行形態と、近世陣屋型御殿城郭の完成形を今に伝える貴重な史跡である。
見どころ
絵図や発掘調査をもとに木造復元された数寄屋風書院造の壮麗な「本丸御殿」、本丸入口に再建された重厚な「埋門(うずみもん)」および本丸「隅櫓」「白漆喰土塀」の威容、本丸や二の丸を支える江戸初期の野面積み・打込接ぎの「石垣」群、本丸背後から中世要塞「鶏籠山城跡(山頂主郭・堀切・石垣)」へと続く登城登山路、城内に残る生活水源の「古井戸跡」、たつの市設置の龍野城跡解説案内板および城址石碑、城郭に隣接する歴史的建造物群保存地区「龍野伝統的建造物群(白壁の土蔵や武家屋敷街)」、春の桜が本丸石垣を彩る龍野公園の風光明媚な歴史景観