筑後 古賀城
おいど攻城記録 城址碑 古賀城ハ岩橋氏ノ居城タリ 岩橋氏ノ祖ハ大和国ヨリ出ヅ 神功皇后ノ三韓征伐ニ従ヒ功アリ 川北九十六ヶ村ヲ賜フ 戦国時代ノ末期 津島守宗岸ト言フ者アリ 母ハ大友宗麟ノ姉ニシテ室ハ筑紫氏ナリ 二子アリ… 続きを読む »筑後 古賀城
平城(ひらじろ、ひらじょう)は、平地に築かれた城を指します。
おいど攻城記録 城址碑 古賀城ハ岩橋氏ノ居城タリ 岩橋氏ノ祖ハ大和国ヨリ出ヅ 神功皇后ノ三韓征伐ニ従ヒ功アリ 川北九十六ヶ村ヲ賜フ 戦国時代ノ末期 津島守宗岸ト言フ者アリ 母ハ大友宗麟ノ姉ニシテ室ハ筑紫氏ナリ 二子アリ… 続きを読む »筑後 古賀城
おいど攻城記録 徳島氏の城跡 肥前千葉氏の一族、徳島氏は戦国時代の永正年間(1504~1520年)に芦刈町の小路と浜中に城館を築きました。ここ、つき山観音一帯が環濠を巡らした城跡とされています。徳島氏は千葉氏、龍造寺氏、… 続きを読む »肥前 徳島城跡
おいど攻城記録 神代氏芦刈館跡 この館は江戸時代に佐賀鍋島藩家臣神代氏が芦刈地域を管轄するために開設した館です。神代氏は戦国時代に脊振・佐賀・小城山間部を支配し、肥前の戦国大名龍造寺隆信とも度々戦いました。のちに、龍造寺… 続きを読む »肥前 神代氏芦刈城
おいど攻城記録 陣の森城跡・小路遺跡 肥前千葉氏の一族である徳島氏は、永正年間(1504年~1520年)に芦刈町の浜中と小路(陣の森、蝮森、珍の山とも呼ばれた)に館を築き、千葉氏に次いで龍造寺氏・鍋島氏に仕えた。 一族の… 続きを読む »肥前 陣の森城
おいど攻城記録 藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉… 続きを読む »武蔵 藤橋城
概要 アクセス・探訪情報 おいど攻城記録 駐車場 水堀 山口藩庁門 萩藩(長州藩、後の山口藩)は、文久3年(1863)の攘夷決行に際し、政治拠点を萩から山口に移し、この地に近代城郭山口城を建設しました。この山口城の門は、… 続きを読む »周防国 山口城 [ Ymaguchi Castle]
概要 アクセス・探訪情報 おいど攻城記録 三階櫓跡 本丸の鬼門にあたる北東角に設けられていた櫓です。外から見ると三階建ての櫓で、1階約9m×10.8m、2階5.4m四方、3階5.4m四方の櫓でした。※現地説明版より 高麗… 続きを読む »肥後国 八代城 [Yatsushiro Castle]
概要 宮園城は天正7年(1579年)に山下城主蒲池鑑広が龍造寺氏の筑後進出に備えて築いた支城である。家臣今村氏を城番とし防衛拠点とした。天正15年の九州征伐後に落城・廃城となった。蒲池氏の支城として龍造寺氏に対する防衛拠… 続きを読む »筑後国 宮園城 [Miyazono Castle]
城犬のおいど 攻城記録 駐車場 崇久寺 凌霄山崇久寺は、鎌倉時代初期に筑後国三潴郡蒲池に移り蒲池姓を名乗った蒲池家の菩提寺である。現在は臨済宗妙心寺派。寺伝では初めは長福寺といい、後醍醐天皇の勅願寺となったが、 兵火を受… 続きを読む »筑後 蒲池城
概要 佐賀県小城市芦刈町芦溝に「宝泉寺館(宝泉寺屋形)」と呼ばれる城館が存在した可能性が指摘されるが、自治体公式サイトや主要な城郭データベースにおいて、明確に「宝泉寺館」として独立した項目・解説を確認することはできない。… 続きを読む »肥前国 宝泉寺館 [HOUSENJI RESIDENCE]