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100名城・続100名城 -
別称 鷹尾城跡、鷹尾古城、大和鷹尾城
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 3.4m
最終訪問日 2026-06-27

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平城
曲輪配置環濠式
築城者鷹尾城右衛門
築城年応永年間(1394~1428年)頃
廃城年天正15年(1587年)
主な城主鷹尾氏、田尻氏、蒲池氏、龍造寺氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 水堀あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:3.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

鷹尾城は、福岡県柳川市大和町鷹ノ尾の矢部川下流右岸低湿地、現・鷹尾神社境内一帯に位置した中世平城(平地城館・水城)跡である。有明海に注ぐ矢部川のデルタ地帯に占地し、クリーク網を多重の天然堀(環濠)として利用した要害であった。城域は主郭部とされる現鷹尾神社周辺を中心に東西約100メートル、南北約120メートル規模の方形区画を成し、周囲を幅広の堀割が巡っていた。後世の圃場整備や宅地化により地上の明確な土塁は削平されているが、神社を取り巻く水路群に環濠の名残をとどめている。境内には城址碑および解説板が設置されている。

⚔️ 歴史的役割

室町初期に応永年間に鷹尾城右衛門によって築かれたと伝わる。戦国期には筑後十五城の一角である田尻鑑種・親種父子の支城として機能し、有明海沿岸の水運と矢部川河口を押さえる軍事・流通の要衝であった。天正年間、田尻氏が龍造寺隆信に従属して柳川城主・蒲池鎮並を攻めた際には前線基地となったが、後に龍造寺氏と田尻氏が対立。天正12年(1584年)の沖田畷の戦いで龍造寺隆信が敗死した後、田尻氏は島津氏に接近した。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定に際し、田尻氏が所領を没収・改易され、立花宗茂が柳川に入封したことに伴い廃城となった。

👀 見どころ

鷹尾神社境内の主郭跡地形、城址を囲むように屈曲・巡るクリーク網(水堀痕跡)、境内に建つ鷹尾城跡解説案内板および石碑、矢部川河口低湿地の水郷景観

🍲 ご当地グルメ

柳川うなぎのせいろ蒸し、柳川鍋、有明海むつごろう・ワラスボ料理、筑後うどん、柳川海苔


おいど攻城記録

鷹尾城主田尻親種墓碑


琴平神社


宮地嶽神社


若宮の祠



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