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100名城・続100名城 -
別称 古館、鯰田古館、古館館、古館城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 35.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平城
曲輪配置単郭式
築城者秋月氏
築城年室町時代
廃城年天正15年(1587年)頃
主な城主秋月氏、野村氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:35.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

古館城(ふるたてじょう)は、福岡県飯塚市鯰田の遠賀川東岸低地に面した微高地・平野部に築かれた室町・戦国時代の平城(平地武士居館)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や埋蔵文化財包蔵地台帳・城館一覧等に登載されている。遠賀川中流域の東岸平坦部に占地し、主郭を中心に堀や土塁によって区画された方形単郭(または複数の郭)からなる中世豪族の居館構造を備えていたと推定される。『筑前国続風土記拾遺』の鯰田村の項にも「古城」などの地名が記録されている。現在は周囲の宅地化や水田・農地開発、市街地化により明瞭な大土木構造は改変されているものの、集落内の敷地区画や地割、境界水路・クリーク状水路に城館特有の名残を留める。遠賀川水運と筑豊盆地(嘉穂・穂波)から直方方面を結ぶ水陸交通の要衝に位置していた。

⚔️ 歴史的役割

中世・戦国期に嘉穂郡・嘉麻郡を支配した戦国大名・秋月氏の支配下において、鯰田一帯の農村支配・水運掌握にあたった在地土豪の平地居館として機能した。対岸の幸袋(許斐山城)や目尾(小呉竹城)、北方の勢田(萱城)などと連絡を取り合い、遠賀川水運および川沿いの幹線街道を行き交う物資・軍勢を監視・管制する役割を果たした。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定および秋月氏の日向移封後は、黒田長政の筑前入国に伴い黒田二十四騎の一人・野村市右衛門(野村祐直)が鯰田領(鯰田城)を拝領して統治にあたった歴史とも深く連動する。領主層の変遷や近世・近代の開発とともに居館としての役目を終え、集落内へと埋没・自然廃城となった。

👀 見どころ

遠賀川東岸の平野微高地に位置する中世平地居館特有の区画地割、主郭周囲を防御していた堀跡の名残をとどめる周囲の水路・用排水路網、敷地境界部に確認できる切岸状のわずかな高低段差および土塁痕跡、対岸の許斐山城(幸袋)や小呉竹城(目尾)と向き合う遠賀川水運監視の軍事・交通的要害立地、飯塚市街地と直方方面を結ぶ旧街道筋の歴史的景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(17城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(福北ゆたか線)鯰田駅から徒歩約8分(約600m)、または新飯塚駅から西鉄バス(直方・毛勝方面行き)で「鯰田渡」下車徒歩約5分

車でのアクセス

八木山バイパス 穂波東ICから国道201号および国道200号経由で北東へ車で約10分、または九州自動車道 八幡ICから南へ車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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