相模 長尾城
概要・現地案内板 長尾砦址は戦国時代に小田原北条氏が築いた玉縄城の出城、長尾砦の址いわれる。しかし長尾の名は古く鎌倉以前にまでさかのぼる。この地に鎌倉武士長尾氏の館があったといい、昭和55年、農地整備に伴い横浜市埋蔵文化… 続きを読む »相模 長尾城
概要・現地案内板 長尾砦址は戦国時代に小田原北条氏が築いた玉縄城の出城、長尾砦の址いわれる。しかし長尾の名は古く鎌倉以前にまでさかのぼる。この地に鎌倉武士長尾氏の館があったといい、昭和55年、農地整備に伴い横浜市埋蔵文化… 続きを読む »相模 長尾城
概要・現地案内板 南北朝時代の記録にも残る河村城は、戦国時代には小田原北条氏の出城でした。地理的に、北の甲斐国、西の駿河国から足柄平野へ至る北東端の入口部分に当たり、戦略上、重要な城であったと考えられます。現在の御殿場線… 続きを読む »相模 河村城
概要・現地案内板 宝泉寺の裏山は山城の跡で、城主は永井大膳太夫、片倉城(八王子市)の出城であったと古くから伝えられています。山城の中心は丘陵の尾根にあって、前面の小松川、背後の穴川が自然の水堀を形成しています。空堀の規模… 続きを読む »相模 小松城
概要・現地案内板 小磯城は、室町時代に築かれた中世城郭です。小磯城があったという伝承から、この山を城山と呼ぶようになりました。文明8年(1477年)、この城に立てこもる長尾景春の被官・越後五郎四郎を山吹伝説で知られる太田… 続きを読む »相模 小磯城
概要・現地案内板 「横山党」と呼ばれる武士団は、12世紀後半八王子から南に進み、境川流域の相原に館を構え粟飯原と名のり、この兄弟の一族が勢力を広めて、小山・矢部・田名氏などを名乗りました。上矢部の土塁は、古くより矢部氏の… 続きを読む »相模 矢部城
概要・現地案内板 小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられています。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されました。豊臣秀吉の小田原攻め… 続きを読む »相模 小田原城
概要・現地案内板 石垣山城は、天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原北条氏の本城である小田原城を水陸16万の大群を率いて包囲し、その本陣として築城されました。完成と同時に周囲の樹木を伐採し、あたかも一夜… 続きを読む »相模 石垣山城
概要・現地案内板 川崎市の最北端、稲城市と市境を接する丘陵地に小沢城址はあります。「新編武蔵風土記稿」の伝えるところによると、鎌倉時代初頭の小沢城址は、小沢小太郎の居城だったようです。この小沢小太郎は、源頼朝の重臣として… 続きを読む »相模 小沢城
概要・現地案内板 越前大野城は、1576年(天正4年頃)、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されていた。当時の城は、本丸に望楼付き2層3階の大天守2層2階の小天守・天狗櫓などを… 続きを読む »越前 大野城
城犬のおいど 攻城記録 津久井城の築城は、鎌倉時代三浦半島一帯に勢力を誇っていた三浦氏の一族、津久井氏によると伝えられます。 戦国時代、小田原城を本城とした北条氏は16世紀中ごろまでには、相模・武蔵を領国とする戦国大名に… 続きを読む »相模 津久井城