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100名城・続100名城 -
別称 宝泉寺城、小松城跡、小松砦
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 220.6m
最終訪問日 2025-06-01

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者永井広秀
築城年建久年間(1190〜1198年)頃
廃城年天正18年(1590年)
主な城主永井氏、内藤氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:220.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

小松城(こまつじょう)は、神奈川県相模原市緑区川尻(旧相模国津久井郡川尻村)の高野山真言宗宝泉寺背後にそびえる標高約217メートル(比高約50メートル)の山稜上に所在する中世山城跡である。武蔵と相模の境目付近に位置し、東に片倉城、南西に津久井城を望む軍事要衝に占地する。山頂の主郭(本丸)には小祠が祀られ、背後に櫓台状土塁を備える。東尾根上には連続する3本の堀切と竪堀によって区画された小郭群が連郭式に連なり、斜面の横移動を厳重に遮断する北条流の築城技巧が良好に残存する。山麓の宝泉寺境内周辺は城主居館跡と推定され、根小屋と詰の城が一体化した典型的な中世山城の構成をとどめる。南側は墓地造成等で一部改変されたが、尾根筋や北斜面の土木遺構は極めて良好に保全されている。

⚔️ 歴史的役割

『皇国地誌残稿』によれば建久年間(1190〜1198年)に永井(長井)某が築いたと伝わり、室町時代には『太平記』にも登場する片倉城主・長井(永井)大膳大夫広秀が築城・修築した出城とされる。戦国時代には小田原北条氏の勢力下に組み込まれ、津久井城城代・内藤氏(内藤綱秀ら)の支城網として機能した。八王子城・片倉城方面と津久井城・小田原方面を結ぶ甲州古道・境目往還を監視・遮断し、武田氏の侵攻に備える軍事中継拠点・狼煙連絡路の役割を担った。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、本城である津久井城や八王子城の落城とともに運命を共にして廃城となったと推測される。近隣には「評議原」「自害谷戸」等の合戦伝承地名が残る。

👀 見どころ

主郭東尾根に連続して穿たれた3条の明瞭な堀切および斜面へ落ちる竪堀群、主郭背後に高く盛られた櫓台状土塁、山腹を取り巻く帯曲輪および急峻に削り落とされた中世山城の切岸斜面、山麓居館跡と伝わる宝泉寺の山門脇に堂々と建つ「小松城址」石碑および登城口の解説案内板、ハイキングコースとして整備された城山尾根道から津久井湖・城山方面を見晴らす境目城郭ならではの要害展望

🍲 ご当地グルメ

相模原炭火焼き豚丼、津久井在来大豆味噌料理、相模原ラーメン、相模川・津久井鮎料理、高尾・津久井そば


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(4城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR横浜線・相模線・京王相模原線橋本駅北口から神奈川中央交通バス(橋01系統等)で約20分「小松橋」または「城山総合事務所入口」下車徒歩約10〜15分(宝泉寺境内背後山稜一帯、標高約217m、比高約50m)

車でのアクセス

圏央道 相模原ICから県道510号および県道48号経由で北東へ車で約8分、または中央自動車道 八王子ICから約25分

駐車場

有(宝泉寺参拝者用駐車場利用、無料約15台)

📍 周辺地図

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