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100名城・続100名城 -
別称 長尾砦、長尾台の塁、長尾台城、長尾氏館、長尾城跡
城址碑 なし
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 33.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者長尾景弘
築城年平安時代末期
廃城年天正18年(1590年)
主な城主長尾氏、鳥居氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:33.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

長尾城(ながおじょう)は、神奈川県横浜市栄区長尾台町(旧相模国鎌倉郡長尾郷)の柏尾川西岸にそびえる標高約74メートル(比高約64メートル)の独立丘陵上に所在した中世城郭(平山城・砦)跡である。「長尾砦」「長尾台の塁」とも称される。中腹には長尾氏の守護神・祖神を祀る長尾御霊神社が鎮座する。関東管領上杉氏の家宰を務め、のちに上杉謙信(長尾景虎)を輩出することになる越後長尾氏をはじめとする東国長尾氏の発祥の地として知られる。丘陵頂部を中心に曲輪や物見塚(伝物見塚)、塚畑などの平坦面が連郭式に造成され、尾根を区切る堀切や空堀、土塁、急峻な切岸加工が施されていた。丘陵上は現在畑地や住宅地となっているが、南峰から玉縄町へ抜ける切通し道沿いや神社周辺山林に土塁や堀切状の凹地、急崖が良好に残存し、道路脇に解説板が建つ。

⚔️ 歴史的役割

平安時代末期に鎌倉権五郎景政の末裔とされる長尾景弘が居館を構え、長尾氏を称したことに始まると伝わる。治承4年(1180年)の石橋山の戦いでは長尾定景が平家方として参戦したが、のちに源頼朝に降って御家人となった。宝治元年(1247年)の宝治合戦で長尾景茂らが三浦泰村とともに討死して一族は一時没落したが、足利尊氏の挙兵に従い越後や上野へ進出して関東管領上杉家の筆頭重臣として発展した。戦国時代には小田原北条氏の支配下に入り、玉縄城を守る重要出城(外郭支城・長尾砦)として再改修され、代官・鳥居伝十郎らが守備した。柏尾川水運と鎌倉・戸塚を結ぶ要路を監視したが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で玉縄城の開城に伴い廃城となった。

👀 見どころ

上杉謙信の祖先・長尾氏発祥の地を今に伝える長尾御霊神社の歴史環境、南峰周辺や切通し道沿いに残存する堀切・空堀および土塁遺構、柏尾川低地に向かって急激に落ち込む中世平山城ならではの険峻な切岸斜面、栄区役所により坂道沿いに設置された「長尾砦跡」解説案内板および御霊神社境内の由緒板、標高74mの城山頂部(塚畑周辺)から玉縄城跡・柏尾川流域・大船市街・富士山方面を一望する要衝ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

大船軒鯵の押寿し、横浜家系ラーメン、サンマーメン、栄区産採れたて野菜(トマト・キャベツ)料理、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(12城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東海道線・横須賀線・根岸線・湘南モノレール大船駅西口から徒歩約15〜20分、または大船駅西口から神奈川中央交通バス(船33・船65系統等)で「宮ノ前」下車徒歩約5分(長尾御霊神社・長尾台町丘陵・塚畑周辺、標高約74m、比高約64m)

車でのアクセス

横浜環状南線 栄ICまたは戸塚ICから車で約10分、横浜横須賀道路 日野ICから県道23号および環状4号経由で南西へ車で約18分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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