コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 岳山城、蔦岳城、蔦山城、赤間山城、赤馬山城、城山
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 368.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・階郭式複合
築城者宗像妙忠
築城年平安時代末期
廃城年天正16年(1588年)
主な城主宗像氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:368.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

蔦ヶ嶽城(岳山城)は、福岡県宗像市陵厳寺と遠賀郡岡垣町の境にそびえる標高369.3メートル(比高約330メートル)の宗像四塚の主峰・城山(赤馬山)山頂部に築かれた中世屈指の大山城跡である。第79代宗像大宮司・宗像氏貞が本拠として大規模改修を施した。城域は南北800メートル、東西1キロメートル以上に及び、三角点のある主郭(本丸)を中心とする南曲輪群と尾根伝いに北へ伸びる北曲輪群から構成される。斜面には鋭利な切岸が巡り、尾根筋を断ち切る多重堀切のほか、北九州最多クラスとなる約170条もの圧倒的な規模を誇る畝状竪堀群が山肌全体に配されている。山頂部には井戸(水穴)や石列・石垣痕跡が遺存し、戦国期宗像氏の総力を結集した大規模要塞の偉容を現代に伝えている。

⚔️ 歴史的役割

平安末期に宗像大宮司・宗像妙忠が築いたと伝わり、建武3年(1336年)には京から落ち延びた足利尊氏を迎え入れた歴史を持つ。戦国期の永禄初頭、大友氏方の立花鑑載や怒留湯直方らの侵攻により一時落城したものの、領地を奪還した宗像氏貞が永禄5年(1562年)頃に白山城から本拠を移転。城名を「岳山城」と改めて大改修を断行し、峻険無比な巨城へと生まれ変わらせた。大友方や立花道雪らの度重なる猛攻を強固な縄張と地の利を活かしてことごとく撃退し、毛利氏・秋月氏と結んで宗像氏の独立性を誇示した。天正14年(1586年)に氏貞が病没して宗像家が断絶し、九州平定後の天正16年(1588年)、要害の堅固さを警戒した豊臣秀吉の命により破却・廃城となった。

👀 見どころ

山腹斜面を埋め尽くすように構築された九州屈指の規模を誇る約170条の畝状竪堀群、主郭背後および北尾根・東尾根を厳重に遮断する二重・三重大規模堀切、山頂主郭南側通路下に残る野面積み石塁・石垣痕跡と本丸北側斜面の水穴(井戸跡)、南北800mに及ぶ広大な連郭・段郭群と鋭利な切岸、山頂から宗像平野・玄界灘・響灘・遠賀方面を360度見渡す雄大なパノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

宗像天然アナゴ料理、玄界灘活イカ、宗像大豆うどん、赤間みそ料理、鶏すき(宗像郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(9城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線教育大前駅から福岡教育大学北側の城山赤間登山口まで徒歩約15分、登山口より山頂主郭(本丸)まで登山道徒歩約35分(またはJR赤間駅からバス利用)

車でのアクセス

九州自動車道 若宮ICから県道29号および国道3号バイパス経由で北へ車で約20分、または古賀ICから車で約30分

駐車場

有(城山赤間登山口駐車場、無料約20台)

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る