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100名城・続100名城 -
別称 小田館、小田屋敷、小田砦、小田城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 27.4m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平城
曲輪配置単郭式
築城者秋月氏
築城年室町時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏、小田氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:27.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

小田城(おだじょう)は、福岡県朝倉市小田(旧甘木市)の佐田川右岸(西岸)低台地・自然堤防微高地(標高約27~30メートル)に位置した中世・戦国時代の平城(平地武士居館)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や地域史料・埋蔵文化財台帳等に小田地区の中世城館遺構として登載されている。国指定史跡・小田茶臼塚古墳が所在する台地平野部に占地し、佐田川水系の自然河川や開析水路を天然の堀障壁として取り込み、方形単郭を中心に堀や土塁を巡らせていた。現在は宅地や水田・果樹園等に開墾されて明瞭な大土木構造は失われているが、集落を取り巻く水路網や区画段差、屋敷割に中世館跡の名残が認められる。朝倉平野中南部において佐田川沿いの水陸交通を掌握し、平時の農村支配・年貢収納および南方の筑後方面への備えを担った。

⚔️ 歴史的役割

室町時代から戦国時代にかけて、秋月荘を本拠とする秋月氏の勢力圏下において、佐田川下流域および小田郷の在地支配を担った在地領主(秋月氏家臣・小田氏等)の平時居館として機能した。小田地区は、甘木盆地と筑後川本流低地を結ぶ南北の街道沿いに位置し、さらに東方の三奈木や朝倉橘広庭方面へと通じる交通の要衝であった。筑後川対岸から北上する豊後大友氏や筑後十五志諸勢力、星野氏らの動向を警戒・監視する平野部の前哨防衛線を構成し、有事の際には背後の山岳支城群と連携して街道を遮断・迎撃する体制を整えていた。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に際し、秋月種実の降伏と日向高鍋移封に伴って領主層が解体され、居館としての役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

佐田川右岸の平野微高地に位置する中世武士居館特有の方形地割、館周囲を取り巻いていた堀跡の名残をとどめる用排水路網、敷地境界部に確認できるわずかな切岸状の高低差および土塁痕跡、至近に位置する国指定史跡「小田茶臼塚古墳」と連なる古代から中世への重層的な集落・歴史環境、佐田川沿いの水陸交通路を平野部で扼する要衝立地

🍲 ご当地グルメ

朝倉蒸し雑煮、甘木川魚料理・川蟹、筑前クロダマル(黒大豆)料理、朝倉和牛・筑穂牛ステーキ、秋月葛料理(葛切り・葛餅)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(18城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄甘木線・甘木鉄道甘木駅から甘木観光バス(三奈木方面行き等)で約8分「小田」下車徒歩約5分、または甘木鉄道甘木駅から南東へ車・タクシーで約6分(約2.5km)、国史跡・小田茶臼塚古墳北西側の集落・微高地一帯

車でのアクセス

大分自動車道 甘木ICから国道386号経由で南東へ車で約5分、または朝倉ICから北西へ車で約10分

駐車場

有(小田茶臼塚古墳見学者用駐車スペース利用、無料数台)

📍 周辺地図

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