概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
永岡城(長岡城)は、福岡県筑紫野市大字立明寺の天拝山南西山麓から南東へ派生する標高約80メートル(比高約40メートル)の段丘状丘陵頂部に築かれた戦国時代の平山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。丘陵最高所を平坦に削平した主郭を中心に、尾根筋に沿って段状の削平曲輪が連郭状に配されている。北西側の天拝山系へと続く背後尾根は堀切によって厳重に遮断され、曲輪周囲には急峻な切岸加工や土塁痕跡が残存する。東麓を流れる原田川や宝満川水系低地、および古代官道(太宰府と肥前・筑後を結ぶ長崎街道・薩摩街道筋)を見下ろす微高地に占地し、筑紫平野北端部における陸上交通を掌握する要衝に位置していた。
歴史的役割
筑前・肥前国境一帯を支配した有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛ネットワークを構成する南方の重要支城・哨戒拠点として機能した。立明寺・永岡周辺は、筑紫氏の本拠である勝尾城(鳥栖市)や鷹取山城と、大宰府方面の岩屋城・宝満山城を結ぶ街道筋の中継防衛線にあたる。天正年間における大友氏・筑紫氏・秋月氏らの激しい勢力争いにおいて前線警戒にあたり、天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城総攻撃に先立つ筑紫氏領内への侵攻戦(勝尾城攻防戦等)の際にも軍事的緊迫下に置かれた。天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴う領主層の再編と近世領主支配の成立に伴い、山岳防衛拠点としての役割を終えて自然廃城となったと推測される。
見どころ
丘陵頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、天拝山系へと連なる北西尾根を遮断する堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根筋に段状に展開する連郭式の段曲輪群、標高約80mの丘陵部から原田・立明寺地区の平野部や筑紫平野・基山・勝尾城方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観
ご当地グルメ
二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)