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100名城・続100名城 -
別称 木城屋敷、木城城、木城陣屋、木城館跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 106.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平山城
曲輪配置単郭式
築城者不明
築城年室町時代
廃城年戦国時代
主な城主木城氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:106.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

木城館(きじょうかん)は、福岡県田川郡川崎町大字安眞木字木城に所在した中世の武士居館(平山城・館)跡である。大王山(摺鉢山)の南東山麓、中元寺川支流の安眞木川沿いに広がる谷あいの微高地・緩傾斜地に占地する。『福岡県の中近世城館跡II(豊前編)』や町史・遺跡台帳等に登載されている。方形に近い主郭平坦面を中心に周囲に段状の削平地が配され、敷地縁辺部には切岸加工や土塁状の高まり、堀跡の名残が認められる。田川盆地南端から筑前国嘉麻郡(上山田方面)へと抜ける山間越境ルートの谷口に位置し、背後の山岳地帯に所在する大王山城や周辺の山城群と一体となって、山間谷筋の農村集落の掌握および交通監視を担う平時の在地武士拠点として機能した。

⚔️ 歴史的役割

室町時代から戦国時代にかけて、当地を領した在地土豪・木城氏の居館と伝えられる。豊前国田川郡と筑前国嘉麻郡の国境地帯に位置するため、豊前宇都宮氏や大友氏、毛利氏、さらに筑前の戦国大名・秋月氏らの勢力争いの影響を直接受ける境目地帯であった。谷筋を通る山越えの街道を扼する防衛上の要地であり、有事の際には背後の山岳砦(大王山城等)に籠城しつつ平時の領国経営・治安維持を行う拠点としての役割を果たした。戦国時代末期の豊臣秀吉による九州平定に伴う豊前国領主の交代(黒田孝高・長政父子の入国)や検地等の領国再編を経て、武士居館としての役目を終えて自然廃絶・帰農したと考えられる。

👀 見どころ

安眞木川沿いの微高地に造成された居館特有の方形平坦地割、敷地境界部に残存する切岸状の段差および土塁痕跡、中世の館周囲を取り巻いていた空堀・堀溝の名残、大王山城南東山麓の谷口集落を扼する境目要衝の地形環境、木城集落から安眞木川流域および田川盆地方面を見渡す山間居館ならではの景観

🍲 ご当地グルメ

田川ホルモン鍋、川崎町農産物(林檎・柑橘類)スイーツ、田川炭坑うどん、嘉麻・川崎ジビエ料理、田川焼きそば


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(16城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR日田彦山線豊前川崎駅から川崎町コミュニティバス(安眞木線)で約15分「木城」下車徒歩約5分、または豊前川崎駅から車・タクシーで約12分(約6km)

車でのアクセス

九州自動車道 小倉南ICから国道322号経由で南へ車で約45分、または八木山バイパス 穂波東ICから国道201号・県道経由で東へ約30分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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