概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・横堀あり・土塁あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
赤司城は、久留米市北野町赤司の赤司八幡宮境内から南側の納骨堂・住宅地周辺に築かれた中世平城(平地城館)である。陣屋川が蛇行する北西の内側に位置し、河川や低湿地を天然の濠としつつ、かつては八重の堀と七重の土塁(築地)を同心円・連郭状に巡らせた堅固な要塞であったと伝わる。現在は赤司八幡宮境内が一段高い微高地となっており、南側納骨堂付近の本丸跡との間を通る道路や水路に往時の空堀・横堀の痕跡をとどめている。主郭から西へ進んだ道路沿いには石造の「赤司城址」碑が建ち、八幡宮境内には解説案内板が設置されている。
歴史的役割
草野氏の庶流とされる赤司永真(または永直)が鎌倉時代に築城して赤司氏を称したことに始まると伝わる。筑後川流域の肥沃な美田と水陸交通の結節点に位置したため、戦国期には大友氏、秋月氏、筑紫氏、龍造寺氏など諸勢力による争奪戦の舞台となった。大友宗麟の筑後進出に際しては重臣・戸次鑑連(立花道雪)が在城・前線拠点として統治したこともある。慶長6年(1601年)に関ヶ原の戦功で筑後一国を領した田中吉政が柳川城に入部すると、弟の田中左馬尉清政が赤司城主となり、城郭と赤司八幡宮社地の大改修を実施した。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となり、石材等は後の久留米城修築に転用された。
見どころ
赤司八幡宮境内の一段高い曲輪地形、本丸と二の丸間の堀割痕跡(道路・水路)、道路沿いに立つ「赤司城址」石碑、八幡宮境内の解説案内板、赤司八幡宮本殿(県指定有形文化財)
ご当地グルメ
久留米ラーメン、久留米焼きとり、筑後うどん、北野名物コスモスうどん、骨付きカルビ