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100名城・続100名城 -
別称 中牟田城跡、中牟田館、西福寺館
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 30.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平城
曲輪配置単郭式
築城者筑紫氏
築城年室町時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主筑紫氏、木村氏、才田氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:30.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

中牟田城(なかむたじょう)は、福岡県朝倉郡筑前町中牟田(旧夜須町)の山家川東岸平野部、浄土真宗本願寺派西福寺境内を中心とする微高地に築かれた中世・戦国時代の平城(平地武士居館)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳に登載されている。周囲の水田・集落より一段高い微高地上に占地し、かつては寺院境内を取り巻くように土塁や空堀(水堀・クリーク状水路)が巡らされていたと推定される。現在は宅地化や農地整備により明瞭な大土木構造は改変されているものの、西福寺境内周囲の地割や敷地段差、境界水路に城館特有の区画名残を留めている。太宰府・筑紫野方面と朝倉・秋月方面、さらに筑前と筑後を結ぶ交通路(旧薩摩街道・秋月街道筋周辺)を扼する平野部の要衝に位置していた。

⚔️ 歴史的役割

詳細は未詳ながら、筑前・肥前国境に勢力を誇った有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の持城(防衛出城・平地居館)と伝えられる。筑紫氏の家臣である木村備前守や才田丹波守が城番として在番していたとされる。また西福寺の寺伝では、応永年間(1394~1428年)に足利氏の家臣・税田(才田)小四郎種吉が武家を辞して中牟田の地に住したことに始まると伝わる。戦国後期、大宰府の岩屋城・宝満山城に拠る大友氏や、古処山城を本拠とする秋月種実勢力、肥前龍造寺氏の間で揺れ動く筑紫氏の前線警備・領域統治の一翼を担った。天正14年(1586年)の島津軍による筑前侵攻戦や、翌天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴う筑紫氏の転封を経て役目を終え、自然廃城となったと考えられる。

👀 見どころ

西福寺境内を中心とする平地城館特有の微高地削平平坦面、境内周縁に確認できる切岸状の高低差段差と土塁痕跡、城館の区画溝・堀の名残をとどめる周囲の水路網、中牟田集落の古式な町並み・地割景観、山家川水系低地平野部から太宰府・夜須・砥上山方面を望む街道沿い平地居館ならではの立地景観

🍲 ご当地グルメ

筑前クロダマル(黒大豆)料理、筑前町ご当地ラーメン、朝倉蒸し雑煮、筑前町産巨峰・梨スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(31城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(原田線)筑前山家駅から徒歩約15分(約1.1km)、または西鉄天神大牟田線筑紫駅から徒歩約25分(約2.1km)、西福寺境内周辺

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道31号バイパス・国道200号経由で南東へ車で約10分、または太宰府ICから車で約20分

駐車場

有(西福寺参拝者駐車場、無料約10台)

📍 周辺地図

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