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100名城・続100名城 -
別称 赤司城跡、赤司館
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 12.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平城
曲輪配置連郭式
築城者赤司永直
築城年鎌倉時代
廃城年元和元年(1615年)
主な城主赤司氏、戸次氏、秋月氏、田中氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・横堀あり・土塁あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:12.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

赤司城は、久留米市北野町赤司の赤司八幡宮境内から南側の納骨堂・住宅地周辺に築かれた中世平城(平地城館)である。陣屋川が蛇行する北西の内側に位置し、河川や低湿地を天然の濠としつつ、かつては八重の堀と七重の土塁(築地)を同心円・連郭状に巡らせた堅固な要塞であったと伝わる。現在は赤司八幡宮境内が一段高い微高地となっており、南側納骨堂付近の本丸跡との間を通る道路や水路に往時の空堀・横堀の痕跡をとどめている。主郭から西へ進んだ道路沿いには石造の「赤司城址」碑が建ち、八幡宮境内には解説案内板が設置されている。

⚔️ 歴史的役割

草野氏の庶流とされる赤司永真(または永直)が鎌倉時代に築城して赤司氏を称したことに始まると伝わる。筑後川流域の肥沃な美田と水陸交通の結節点に位置したため、戦国期には大友氏、秋月氏、筑紫氏、龍造寺氏など諸勢力による争奪戦の舞台となった。大友宗麟の筑後進出に際しては重臣・戸次鑑連(立花道雪)が在城・前線拠点として統治したこともある。慶長6年(1601年)に関ヶ原の戦功で筑後一国を領した田中吉政が柳川城に入部すると、弟の田中左馬尉清政が赤司城主となり、城郭と赤司八幡宮社地の大改修を実施した。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となり、石材等は後の久留米城修築に転用された。

👀 見どころ

赤司八幡宮境内の一段高い曲輪地形、本丸と二の丸間の堀割痕跡(道路・水路)、道路沿いに立つ「赤司城址」石碑、八幡宮境内の解説案内板、赤司八幡宮本殿(県指定有形文化財)

🍲 ご当地グルメ

久留米ラーメン、久留米焼きとり、筑後うどん、北野名物コスモスうどん、骨付きカルビ


おいど攻城記録


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