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100名城・続100名城 -
別称 高橋城、上高橋館
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 10.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平城
曲輪配置環濠式
築城者大蔵春実
築城年平安時代中期
廃城年室町時代
主な城主高橋氏、大蔵氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 水堀あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:10.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

上高橋城は、福岡県三井郡大刀洗町大字上高橋の筑後平野北部に位置した平安時代中期から室町時代にかけての平地居館(平城)跡である。陣屋川および小石原川流域の肥沃な低湿平野に占地し、クリーク網を天然の堀(環濠)として利用した館跡であったとされる。大蔵春実の子孫が当地の地名をとって「高橋氏」を名乗り、下高橋の地へ本拠(高橋城・城下高橋城・現竈門神社境内一帯)を移すまで代々の居館として機能した。周辺は後世の耕地整理や住宅開発によって地上の土木遺構は失われているが、集落周辺をめぐるクリークや水路網にかつての館を囲んだ環濠の面影をとどめている。

⚔️ 歴史的役割

承平・天慶の乱において藤原純友の乱(939~941年)を鎮圧した功により、征西大将軍となった大蔵春実が朝廷より上高橋・下高橋・今・鵜木などの地を下賜され、その拠点として上高橋城を構えたことに始まると伝わる。春実の子孫は在地名より「高橋氏」を称し、筑後有力豪族として発展した。南北朝から室町時代にかけて、より防衛性や規模を拡張した南西隣の下高橋城へと居城を移転したため、本城としての役割を終えたとされる。その後、高橋氏は大友氏に従属し、高橋鑑種の代に弘治年間(1555~1558年)に筑前岩屋城へ転封となるまで、この一帯は高橋氏歴代の揺籃の地・采地として機能した。

👀 見どころ

筑後平野の低湿地帯に発達したクリーク(環濠)の流路景観、下高橋の高橋城跡(竈門神社境内・高橋様宝篋印塔)へと連なる高橋氏発祥の歴史的町並み

🍲 ご当地グルメ

大刀洗レタス・野菜料理、馬刺し・馬肉料理、久留米ラーメン、筑後うどん、あまおうスイーツ


おいど攻城記録


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