概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
鷹尾城は、福岡県柳川市大和町鷹ノ尾の矢部川下流右岸低湿地、現・鷹尾神社境内一帯に位置した中世平城(平地城館・水城)跡である。有明海に注ぐ矢部川のデルタ地帯に占地し、クリーク網を多重の天然堀(環濠)として利用した要害であった。城域は主郭部とされる現鷹尾神社周辺を中心に東西約100メートル、南北約120メートル規模の方形区画を成し、周囲を幅広の堀割が巡っていた。後世の圃場整備や宅地化により地上の明確な土塁は削平されているが、神社を取り巻く水路群に環濠の名残をとどめている。境内には城址碑および解説板が設置されている。
歴史的役割
室町初期に応永年間に鷹尾城右衛門によって築かれたと伝わる。戦国期には筑後十五城の一角である田尻鑑種・親種父子の支城として機能し、有明海沿岸の水運と矢部川河口を押さえる軍事・流通の要衝であった。天正年間、田尻氏が龍造寺隆信に従属して柳川城主・蒲池鎮並を攻めた際には前線基地となったが、後に龍造寺氏と田尻氏が対立。天正12年(1584年)の沖田畷の戦いで龍造寺隆信が敗死した後、田尻氏は島津氏に接近した。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定に際し、田尻氏が所領を没収・改易され、立花宗茂が柳川に入封したことに伴い廃城となった。
見どころ
鷹尾神社境内の主郭跡地形、城址を囲むように屈曲・巡るクリーク網(水堀痕跡)、境内に建つ鷹尾城跡解説案内板および石碑、矢部川河口低湿地の水郷景観
ご当地グルメ
柳川うなぎのせいろ蒸し、柳川鍋、有明海むつごろう・ワラスボ料理、筑後うどん、柳川海苔
おいど攻城記録


鷹尾城主田尻親種墓碑

琴平神社

宮地嶽神社

若宮の祠

