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100名城・続100名城 -
別称 許斐山城、許斐城、このみ岳城
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 270.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者宗像氏成
築城年応仁年間(1467~1469年)頃
廃城年天正15年(1587年)
主な城主宗像氏、占部氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:270.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

許斐岳城は、福岡県宗像市王丸と福津市吉原の境にそびえる標高271メートル(比高約220メートル)の許斐山山頂部に築かれた中世屈指の拠点山城跡である。福岡県の中近世城館跡調査等に登載されている。急峻な独立峰の山頂部に本丸を構え、そこから四方に延びる尾根筋に沿って多数の削平曲輪を段状に配した連郭式の縄張りを有する。本丸東側には石塁・石垣痕跡が遺存し、各尾根には鋭い堀切、横堀、畝状竪堀群が多重に穿たれている。山頂直下には城の生命線である井戸跡(金明水・銀明水)が良好に現存する。眼下に釣川流域、玄界灘、さらに博多から北九州へと至る古代官道・唐津街道を一望する要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

応仁の乱期、宗像大宮司・宗像氏成によって白山城の有力支城として築かれたと伝わる。戦国時代後期には蔦ヶ嶽城とともに宗像氏の最重要軍事拠点となり、宿老の占部越前守貞幸らが城代を務めた。宗像・糟屋の境目に位置したため、豊後大友氏配下の立花山城主・戸次鑑連(立花道雪)や吉弘鎮理らによる幾度もの猛攻に晒されたが、険阻な山容と堅牢な縄張りを活かして激戦を耐え抜いた。天正年間の宗像合戦の主舞台となり、毛利氏・秋月氏との連携要石となった。天正14年(1586年)に大宮司・宗像氏貞が病没して宗像家が断絶し、豊臣秀吉による九州平定に伴い天正15年に破却・廃城となった。

👀 見どころ

山頂本丸を取り巻く急峻な高切岸と東側斜面に残る野面積みの石垣・石塁遺構、尾根筋を厳重に分断する連続堀切および山腹に刻まれた畝状竪堀群、山頂直下に今なお清水を湛える井戸跡(金明水・銀明水)、王丸登山口に立つ城址解説板と山頂本丸跡の石碑、標高271m山頂から福津・宗像平野・玄界灘・相島・立花山まで見晴らす360度の大パノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

宗像天然アナゴ料理、玄界灘活イカ、宮地嶽名物松ヶ枝餅、宗像大豆うどん、鶏すき(宗像郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(15城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線東郷駅日の里口から宗像市コミュニティバス(ふれあいバス・王丸方面行き)等で約10分「王丸」下車、許斐神社登山口まで徒歩約10分、山頂本丸まで登山道徒歩約40分

車でのアクセス

九州自動車道 若宮ICから県道経由で北西へ車で約15分、または古賀ICから国道3号バイパス経由で北東へ車で約15分

駐車場

有(許斐山王丸登山口駐車場、無料約15台)

📍 周辺地図

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