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100名城・続100名城 -
別称 長岡城、立明寺城、永岡砦、永岡城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 54.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者筑紫氏
築城年戦国時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主筑紫氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:54.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

永岡城(長岡城)は、福岡県筑紫野市大字立明寺の天拝山南西山麓から南東へ派生する標高約80メートル(比高約40メートル)の段丘状丘陵頂部に築かれた戦国時代の平山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。丘陵最高所を平坦に削平した主郭を中心に、尾根筋に沿って段状の削平曲輪が連郭状に配されている。北西側の天拝山系へと続く背後尾根は堀切によって厳重に遮断され、曲輪周囲には急峻な切岸加工や土塁痕跡が残存する。東麓を流れる原田川や宝満川水系低地、および古代官道(太宰府と肥前・筑後を結ぶ長崎街道・薩摩街道筋)を見下ろす微高地に占地し、筑紫平野北端部における陸上交通を掌握する要衝に位置していた。

⚔️ 歴史的役割

筑前・肥前国境一帯を支配した有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛ネットワークを構成する南方の重要支城・哨戒拠点として機能した。立明寺・永岡周辺は、筑紫氏の本拠である勝尾城(鳥栖市)や鷹取山城と、大宰府方面の岩屋城・宝満山城を結ぶ街道筋の中継防衛線にあたる。天正年間における大友氏・筑紫氏・秋月氏らの激しい勢力争いにおいて前線警戒にあたり、天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城総攻撃に先立つ筑紫氏領内への侵攻戦(勝尾城攻防戦等)の際にも軍事的緊迫下に置かれた。天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴う領主層の再編と近世領主支配の成立に伴い、山岳防衛拠点としての役割を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

丘陵頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、天拝山系へと連なる北西尾根を遮断する堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根筋に段状に展開する連郭式の段曲輪群、標高約80mの丘陵部から原田・立明寺地区の平野部や筑紫平野・基山・勝尾城方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(38城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線原田駅から西鉄バス(筑紫野ニュータウン・美しが丘方面行き等)で約10分「立明寺」下車、北西側丘陵の山道・農道を経て主郭部まで徒歩約15分(またはJR原田駅から徒歩約30分、約2.3km)

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道31号バイパスおよび県道経由で南西へ車で約8分、または鳥栖ICから北へ車で約15分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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