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100名城・続100名城 -
別称 笠木城、笠木城跡、宮田笠木城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 421.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者笠木種親
築城年鎌倉時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主笠木氏、宗像氏、麻生氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:421.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

笠木山城(かさぎやまじょう)は、福岡県宮若市宮田の犬鳴山地東縁にそびえる標高約256メートル(比高約200メートル)の笠木山山頂部および派生尾根一帯に築かれた鎌倉・戦国時代の拠点山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や宮若市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。急峻な独立山塊の地形を巧みに利用し、山頂の主郭を中心に南北および東方へ派生する尾根筋に沿って段状の削平曲輪群が連郭式に配されている。主郭背後の尾根筋には敵の侵入を遮断する大規模な堀切や空堀が穿たれ、各曲輪の切岸加工や土塁痕跡が良好に残存する。犬鳴川流域の宮田盆地や遠賀川水系低地平野部、さらには宗像・糟屋方面と直方・飯塚(筑豊盆地)を結ぶ古代・中世の東西交通路を眼下に広く見下ろす天然の天険要衝に位置する。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉時代初期に原田種直の一族である笠木太郎種親によって築かれたと伝えられ、以後代々笠木氏の本拠となった。室町から戦国時代にかけては宗像大社の大宮司家である宗像氏や遠賀川流域を統括する麻生氏、豊後大友氏、秋月氏などの大名勢力が激しく境目を争う中で軍事的重要拠点として争奪戦の舞台となった。戦国期には秋月種実の支配下に入り、秋月方の北面防衛線を担う前線要塞として機能した。天正年間における宗像・大友・秋月の覇権抗争において度々緊張下に置かれ、天正14年(1586年)から翌天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定および秋月氏の日向高鍋移封に伴い、役割を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

標高256mの笠木山山頂に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な高切岸、尾根筋を厳重に分断する堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、派生尾根に沿って段階状に連なる連郭式の段曲輪群、山頂部から犬鳴川流域の宮田盆地・筑豊炭田平野部・六ヶ岳・遠賀川水系を見晴らす山岳要塞ならではの大パノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

宮若追い出し猫せんべい、脇田温泉名物料理、宮若産地鶏料理、ホルモン焼きうどん、博多ラーメン


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(8城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線赤間駅南口から西鉄バス(直方・宮田方面行き)で約35分「宮田」下車、またはJR筑豊本線(福北ゆたか線)小竹駅からタクシーで約20分、笠木山麓登山口より登山道を徒歩約40分

車でのアクセス

九州自動車道 若宮ICから県道9号および県道21号経由で東へ車で約15分、または鞍手ICから南西へ車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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