概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
本城城(蛭子谷城)は、福岡県北九州市八幡西区大字本城の国道199号と県道11号が交差する力丸町交差点北西に位置する標高約30メートル(比高約20メートル)の通称「城山」に築かれた平安末期の陣城(平山城)跡である。現在の本城霊園一帯に占地していた。後世の墓地開発(本城霊園造成)や周辺の土地区画整理・住宅造成によって城域の大部分は改変・消滅しているが、本丸(主郭)と推定される丘陵最高所の中央平坦面には蛭子神社が祀られ、石祠が鎮座している。神社の周囲には往時の城館・陣城の微地形を残す切岸状の傾斜段差が確認できる。洞海湾奥の水辺低地を見下ろす独立性の高い丘陵であり、江川や洞海湾の水運・渡河点を扼する要害であった。
歴史的役割
源平合戦期の寿永4年(1185年)2月、鎌倉の源頼朝の弟・源範頼が平家追討の大将軍として豊後国から周防を経て九州へ渡海・進撃した際、当地に陣(本陣)を構えたことに始まると伝えられる。範頼軍は当地の「本城」を拠点陣地として布陣し、遠賀川河口の山鹿城(芦屋津)に拠って平家軍の主力水軍として頑強に抵抗していた有力豪族・原田種直(大蔵氏一族)や山鹿秀遠らの軍勢と対峙し、激戦を展開した(芦屋浦の戦い)。源氏軍はこの前線本陣から兵を繰り出して平家方を破り、壇ノ浦の合戦へ向けて平家後方を遮断する決定的な軍事的足がかりを築いた。戦後は常設の要塞としては維持されず、陣城としての役目を終えた。
見どころ
本丸(主郭)跡と推定される霊園中央部高台に鎮座する蛭子神社の石祠および社叢、境内周辺にわずかに確認できる切岸状の傾斜段差地形、洞海湾奥から江川・遠賀方面を見渡す丘陵頂部の地形的要害環境、源平合戦(芦屋浦の合戦)における源範頼の本陣伝承地としての歴史的空間、近隣の浅川城や黒崎城など中世城館群と連携した地域史探訪
ご当地グルメ
八幡ぎょうざ、黒崎焼きそば、折尾のかしわめし、門司港焼きカレー、戸畑ちゃんぽん