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100名城・続100名城 -
別称 松延城跡、松延館
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 9.2m
最終訪問日 2026-06-27

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平城
曲輪配置環濠式
築城者松延氏
築城年南北朝時代
廃城年戦国時代末期
主な城主松延氏、蒲池氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 水堀あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:9.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

松延城は、福岡県みやま市瀬高町松田の筑後平野南部、矢部川北岸の低湿地平野に位置した中世平城(平地城館・環濠居館)跡である。矢部川の支流や無数に張り巡らされた農業用水路・クリーク網を天然の外堀・内堀(環濠)として利用した典型的なクリーク城郭であった。周辺一帯は後世の耕地整理や住宅開発に伴い土塁等の起伏は削平されているものの、集落周囲を囲む幅広の水路網や地割に中世城館の環濠の面影を残している。城館の中心部は現在の集落微高地に比定され、肥後・肥前・筑後を結ぶ水陸交通の要所に占地していた。

⚔️ 歴史的役割

南北朝時代から室町時代にかけて、筑後南部の在地武士団・土豪であった松延氏の居城として機能した。松延氏は筑後宇都宮氏の流れを汲む山下城主・蒲池氏の一族または有力与力として活動し、矢部川流域の穀倉地帯の防衛と水運管理を担った。戦国時代後期には柳川城主・蒲池鑑盛や蒲池鎮並に従属し、大友氏、龍造寺氏、島津氏による筑後争乱において前線警備にあたった。天正9年(1581年)の龍造寺隆信による蒲池氏謀殺(柳川城開城後の皆殺し)や、その後の肥後・筑後国境の勢力再編に伴い領主支配が解体され、廃城となったと推測される。

👀 見どころ

集落周囲に現存するクリーク網(環濠・水堀跡の流路痕跡)、中世低湿地城館の区画割をとどめる集落の地割、矢部川北岸の肥沃な田園景観

🍲 ご当地グルメ

瀬高高菜漬け料理、柳川うなぎのせいろ蒸し、みやまのセロリ料理、筑後うどん、山川みかんスイーツ


おいど攻城記録


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