三河 足助城
城犬のおいど 攻城記録 堀切1 足助城の中心施設と、南の山上に伸びる施設を区切る役割をもった堀です。堀の底を通路としても使っていました。※現地説明板より 北腰曲輪1 本丸 説明板 足助城の中心である本丸は、足助の街並みを… 続きを読む »三河 足助城
城犬のおいど 攻城記録 堀切1 足助城の中心施設と、南の山上に伸びる施設を区切る役割をもった堀です。堀の底を通路としても使っていました。※現地説明板より 北腰曲輪1 本丸 説明板 足助城の中心である本丸は、足助の街並みを… 続きを読む »三河 足助城
概要・現地案内板 木下藤吉郎の墨俣城築城は、太閤記、日本外史、新撰美濃志等多くの文献にみられますが、その概略を推測される範囲でしかありません。昭和52年、愛知県江南市の文化財保護委員瀧雲義氏により紹介された、同市前野の旧… 続きを読む »美濃 墨俣城
概要・現地案内板 清州城は当初、尾張守護所の下津城の別郭として築城されました。その後、下津城が戦乱で消失したため文明8年(1476)に守護所が清州城へ移されたとされています。戦国の頃、尾張国は守護代の織田氏が実権を握って… 続きを読む »尾張 清州城
概要・現地案内板 丹波亀山城は、別名を亀宝城・霞城ともいい、織田信長の命により天正7年(1579年)ごろに、明智光秀によって築かれたお城です。天正10年(1582年)に起きた本能寺の変で、明智光秀が13000の軍勢を率い… 続きを読む »丹波 亀山城
概要・現地案内板 長尾砦址は戦国時代に小田原北条氏が築いた玉縄城の出城、長尾砦の址いわれる。しかし長尾の名は古く鎌倉以前にまでさかのぼる。この地に鎌倉武士長尾氏の館があったといい、昭和55年、農地整備に伴い横浜市埋蔵文化… 続きを読む »相模 長尾城
概要・現地案内板 長島城は、文明年間(1469~87)に伊勢国安濃郡の長野氏一族と伝えられる伊藤重晴が長島を治め築城したと言われています。その後、長島北部の杉江にあった願証寺が浄土真宗の一大拠点となると、伊藤氏は滅ぼされ… 続きを読む »伊勢 長島城
概要・現地案内板 長浜はもと今浜といい、「バサラ大名」として有名な京極道誉(佐々木高氏)が室町時代の初め頃に出城を築き、それが長浜城の元と伝えられる。以後、家臣の今浜氏・上坂氏が守将として在城したといわれている。姉川合戦… 続きを読む »近江 長浜城
概要・現地案内板 南北朝時代の記録にも残る河村城は、戦国時代には小田原北条氏の出城でした。地理的に、北の甲斐国、西の駿河国から足柄平野へ至る北東端の入口部分に当たり、戦略上、重要な城であったと考えられます。現在の御殿場線… 続きを読む »相模 河村城
概要・現地案内板 山浦城は、旦飯野神社境内一帯が城域であったとされています。山浦氏は伊豆国大見郷の氏族で、鎌倉時代に白河庄の地頭として伊豆から赴任してきた大見氏の一族とされます。山浦城の築城年と廃城年は不詳ですが旦飯野神… 続きを読む »越後 山浦城
概要・現地案内板 宝泉寺の裏山は山城の跡で、城主は永井大膳太夫、片倉城(八王子市)の出城であったと古くから伝えられています。山城の中心は丘陵の尾根にあって、前面の小松川、背後の穴川が自然の水堀を形成しています。空堀の規模… 続きを読む »相模 小松城