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現存建造物なし

甲斐 勝山城

概要・現地案内板 勝山城は、文禄3年(1594)に浅野左衛門氏重によって築城されたと「甲斐国志」に記されている。当時、甲斐国には、江戸の徳川家康に対する備えとして、豊臣秀吉の一族浅野長政が配されていたが、浅野左衛門氏重は… 続きを読む »甲斐 勝山城

甲斐 谷村城

概要・現地案内板 谷村城は、寛永10年(1633)に谷村藩主となった秋元泰朝により整備されました。「甲州谷村城絵図」には当時の谷村城と城下が描かれており、現在の谷村第一小学校付近に置かれた主郭(本丸)を中心に、市役所から… 続きを読む »甲斐 谷村城

越前 福井城

概要・現地案内板 天正3年(1575)に織田信長は重臣柴田勝家へ越前8郡をあたえましたが、その際に勝家は足羽川と北陸道が交わる交通の要所であった北庄(後の福井)に城を築きました。その後、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で… 続きを読む »越前 福井城

相模 小田原城

概要・現地案内板 小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられています。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されました。豊臣秀吉の小田原攻め… 続きを読む »相模 小田原城

遠江 浜松城

概要・現地案内板 浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、17年間在城した。東西600メートル、南北650メートルの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、二之丸、… 続きを読む »遠江 浜松城

甲斐 新府城

概要・現地案内板 新府城は、天正10年3月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と… 続きを読む »甲斐 新府城

甲斐 武田氏館

概要・現地案内板 「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16年(1519)に石和からこの地に、館を移したことから始まります。その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使われました。そして武田… 続きを読む »甲斐 武田氏館

相模 石垣山城

概要・現地案内板 石垣山城は、天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原北条氏の本城である小田原城を水陸16万の大群を率いて包囲し、その本陣として築城されました。完成と同時に周囲の樹木を伐採し、あたかも一夜… 続きを読む »相模 石垣山城

越中 増山城

概要・現地案内板 城は、立地条件によって平城、平山城、山城に分類されますが、増山城は典型的な山城です。山城は、山そのものに普請(土木工事)を加え、郭や堀などの防御施設を作り出すタイプのお城です。富山県内には大小400以上… 続きを読む »越中 増山城

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