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100名城・続100名城 -
別称 城山、久礼要害、佐竹城、久礼城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 99.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者佐竹義種
築城年応永年間(1394〜1428年頃佐竹氏、天正期長宗我部氏改修)
廃城年慶長6年(1601年)山内一豊入封に伴い廃城
主な城主佐竹氏、長宗我部氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:99.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

久礼城(くれじょう)は、高知県高岡郡中土佐町久礼に所在する土佐湾(久礼湾)に面した標高約68メートル(比高約65メートル)の城山頂部に築かれた中世山城・海城跡である。中土佐町指定史跡。常陸源氏佐竹氏の庶流で、南北朝から室町初期に土佐へ下向した佐竹義種が築城したと伝わる。太平洋に突き出た岬状の山塊地形を天然の要塞とし、久礼港と久礼川河口を眼下に望む。山頂の主郭(本丸)を中心に東・南・西の各尾根筋へ二の丸、出丸、腰曲輪群を階段状に配した連郭式縄張を持つ。背後の山稜側は深大な堀切や竪堀で厳重に遮断され、曲輪周囲には土塁や急峻な切岸、籠城用井戸跡が残存する。平時の居館を山麓に置き、有事の詰城として機能した。現在は城山公園として整備され、主郭周辺の遺構群とともに久礼湾と太平洋を一望する絶景スポットとなっている。

⚔️ 歴史的役割

土佐中南部沿岸の海上交通・港湾水運(久礼湊)を統治した有力国衆・土佐佐竹氏累代の本拠地であり、水軍基地としての重責を果たした。佐竹氏は代々土佐一条氏と緊密に連携していたが、長宗我部元親が勢力を拡大すると降伏・臣従し、長宗我部軍の海運・水軍戦力として各地を転戦した。天正年間の長宗我部氏による四国平定戦や九州征伐(戸次川の戦い)にも佐竹氏一族が従軍。関ヶ原合戦において長宗我部氏が改易されると、慶長6年に山内一豊が土佐に入封し、一国一城令や統治再編の流れのなかで廃城となった。城下の久礼八幡宮は佐竹氏の崇敬篤く、城内・湊の鎮守として保護された。海を監視する海城・水軍城郭としての卓越した立地と、土佐中世国衆の防衛戦略を如実に示す貴重な山城遺跡である。

👀 見どころ

城山背後の尾根筋を鋭利かつ深大に断ち切る「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」遺構、主郭(本丸)周囲を取り巻く「土塁」および山腹を削り落とした険峻な「切岸」、東西の尾根沿いに階段状に配された「二の丸・腰曲輪群」の削平段、城山中腹に遺存する籠城用の「井戸跡」、山頂主郭から眼下に広がる雄大な久礼湾(土佐湾)・久礼の町並み・太平洋を一望する大パノラマ眺望、佐竹氏が城内鎮守として尊崇した山麓の古社「久礼八幡宮」、城山公園入口に設置された中土佐町指定史跡標柱・解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(1城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR土讃線土佐久礼駅から東へ徒歩約15分、登城口(久礼八幡宮裏手またはふるさと海岸側遊歩道入口)より主郭まで徒歩登山約10〜15分(高岡郡中土佐町久礼字城山・城山山頂一帯、主郭標高約68m、久礼港・太平洋平地比高約65m)

車でのアクセス

高知自動車道 中土佐ICから国道56号・県道314号経由で南東へ車で約5分、または高知市街地から約50分

駐車場

有(ふるさと海岸駐車場・中土佐町役場駐車場、普通車無料約50台)

📍 周辺地図

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