概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
高山城(たかやまじょう)は、奈良県生駒市高山町字城山に所在する富雄川上流部東岸の標高約194メートル(比高約45メートル)の独立丘陵頂部に築かれた中世山城跡である。通称「鷹山城」。生駒市指定史跡。茶道の必須道具「茶筌(茶筅)」発祥の地として知られる北和の国人・高山氏(鷹山氏)の本拠地であり、キリシタン大名として名高い高山右近(ジュスト高山右近友祥)生誕の地と伝わる。山頂の主郭(本丸)を中心に東西の痩せ尾根上に二の丸、三の丸、出丸、腰曲輪群を階段状に配した連郭式縄張を持つ。尾根筋には深大な堀切や竪堀が掘削され、曲輪周囲には土塁や急峻な切岸、籠城用井戸跡が明瞭に遺存する。南麓の高山竹林園周辺には平時の居館跡(城館)が推定され、山城と居館が一体となった典型的な中世豪族の城郭構造を今日に伝えている。
歴史的役割
北和(大和北部)と山城・河内三国の結節点を扼する国人領主・高山氏累代の軍事・政治拠点として重要な歴史的役割を果たした。高山氏は興福寺一乗院方の有力衆徒として勢力を張り、室町・戦国期の大和国の内訌(筒井氏と越智氏の抗争、畠山氏の内紛)において要衝の守りを固めた。戦国後期、城主・高山友照(飛騨守)とその子・重友(右近)は松永久秀に仕え、永禄6年(1563年)にキリスト教に入信。やがて織田信長の上洛に従い畿内各地で軍功を挙げ、摂津高槻城や播磨明石城へと本拠を移した。天正8年(1580年)の信長による大和諸城破却令や、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による大和郡山城(羽柴秀長)整備の過程で城郭としての軍事機能を完全に終えて廃城となった。中世北和の在地土豪の自立的城郭構造とキリシタン受容の黎明期を証言する貴重な遺跡である。
見どころ
標高194mの丘陵頂部に平坦に削平された「主郭(本丸跡)」および東西尾根に連なる「二の丸・三の丸・出丸」の連郭式曲輪群、尾根続きを鋭利に遮断した深大な「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」遺構、主郭縁辺部に明瞭に残る「土塁」および山腹を削り落とした険峻な「切岸」、長期籠城を支えた山頂付近の「古井戸跡」、山頂から見晴らす富雄川流域の高山盆地および生駒山系・北和丘陵のパノラマ眺望、城山の南麓に広がり高山氏の歴史と伝統工芸を体感できる「高山竹林園」、登城口に設置された生駒市指定史跡標柱および高山城跡解説案内板