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100名城・続100名城 -
別称 鷹山城、高山要害、城山、高山城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 216.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者高山頼栄(鷹山頼栄)
築城年鎌倉時代末期〜南北朝時代頃(戦国期高山氏改修)
廃城年天正13年(1585年)高山右近の播磨明石転封に伴い廃城
主な城主高山氏(鷹山氏)
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:216.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

高山城(たかやまじょう)は、奈良県生駒市高山町字城山に所在する富雄川上流部東岸の標高約194メートル(比高約45メートル)の独立丘陵頂部に築かれた中世山城跡である。通称「鷹山城」。生駒市指定史跡。茶道の必須道具「茶筌(茶筅)」発祥の地として知られる北和の国人・高山氏(鷹山氏)の本拠地であり、キリシタン大名として名高い高山右近(ジュスト高山右近友祥)生誕の地と伝わる。山頂の主郭(本丸)を中心に東西の痩せ尾根上に二の丸、三の丸、出丸、腰曲輪群を階段状に配した連郭式縄張を持つ。尾根筋には深大な堀切や竪堀が掘削され、曲輪周囲には土塁や急峻な切岸、籠城用井戸跡が明瞭に遺存する。南麓の高山竹林園周辺には平時の居館跡(城館)が推定され、山城と居館が一体となった典型的な中世豪族の城郭構造を今日に伝えている。

⚔️ 歴史的役割

北和(大和北部)と山城・河内三国の結節点を扼する国人領主・高山氏累代の軍事・政治拠点として重要な歴史的役割を果たした。高山氏は興福寺一乗院方の有力衆徒として勢力を張り、室町・戦国期の大和国の内訌(筒井氏と越智氏の抗争、畠山氏の内紛)において要衝の守りを固めた。戦国後期、城主・高山友照(飛騨守)とその子・重友(右近)は松永久秀に仕え、永禄6年(1563年)にキリスト教に入信。やがて織田信長の上洛に従い畿内各地で軍功を挙げ、摂津高槻城や播磨明石城へと本拠を移した。天正8年(1580年)の信長による大和諸城破却令や、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による大和郡山城(羽柴秀長)整備の過程で城郭としての軍事機能を完全に終えて廃城となった。中世北和の在地土豪の自立的城郭構造とキリシタン受容の黎明期を証言する貴重な遺跡である。

👀 見どころ

標高194mの丘陵頂部に平坦に削平された「主郭(本丸跡)」および東西尾根に連なる「二の丸・三の丸・出丸」の連郭式曲輪群、尾根続きを鋭利に遮断した深大な「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」遺構、主郭縁辺部に明瞭に残る「土塁」および山腹を削り落とした険峻な「切岸」、長期籠城を支えた山頂付近の「古井戸跡」、山頂から見晴らす富雄川流域の高山盆地および生駒山系・北和丘陵のパノラマ眺望、城山の南麓に広がり高山氏の歴史と伝統工芸を体感できる「高山竹林園」、登城口に設置された生駒市指定史跡標柱および高山城跡解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(1城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

近鉄けいはんな線学研北生駒駅から奈良交通バス(庄田・高山茶筌の里行等)で約10分「高山城跡前」下車徒歩約5分、または近鉄生駒駅北口から奈良交通バス(高山経由庄田行)で約25分「高山城跡前」下車、城山登城口より主郭まで徒歩登山約5〜8分(生駒市高山町字城山・富雄川上流域東岸独立丘陵一帯、主郭標高約194m、平地比高約45m)

車でのアクセス

第二阪奈道路 壱分ICから国道168号・県道7号枚方大和郡山線経由で北へ車で約20分、または京奈和自動車道 精華学研ICから車で約15分

駐車場

有(高山竹林園駐車場・高山城跡登城口駐車スペース、普通車無料約50台)

📍 周辺地図

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