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100名城・続100名城 -
別称 錦水城、湊城、湊村城、錦水要害、田辺城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 3.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平水城
曲輪配置梯郭式
築城者浅野幸長(安藤直次大改修)
築城年慶長11年(1606年)浅野氏、元和5年(1619年)安藤氏大改修
廃城年明治4年(1871年)
主な城主浅野氏、安藤氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 石垣あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:3.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

田辺城(たなべじょう)は、和歌山県田辺市上屋敷三丁目に所在する会津川の河口左岸と田辺湾に面した低平地(標高約4メートル)に築かれた紀伊田辺藩安藤氏3万8千石の居城(平水城)跡である。通称「錦水城」。田辺市指定史跡(田辺城水門跡)。慶長11年に紀伊新宮領主・浅野幸長が湊城として築き家臣の浅野知近を置いたことに始まり、元和5年に徳川頼宣の紀州入封に伴い紀州藩付家老・安藤直次が入城。直次は城郭を大規模に改築・拡張し、内堀・外堀を穿ち石垣を整備した。本丸には重厚な表御殿・奥御殿や櫓が並び、会津川と田辺湾の水を引き入れた水城構造を形成。明治の廃城令で堀は埋め立てられ宅地化したが、会津川に面して舟入用のアーチ状開口部を遺す精巧な石造水門跡や、本丸石垣、殿井戸が良好に現存している。

⚔️ 歴史的役割

江戸幕府親藩・紀州徳川家の筆頭付家老を務めた安藤氏16代(明治維新まで)の政庁・軍事拠点であり、紀伊半島南部の統治と熊野街道・西廻海運の監視を担った。安藤直次は徳川家康の信任厚い旗本出身で、大坂の陣でも活躍し頼宣の補佐役として田辺3万8千石を拝領。紀州藩の南の防波堤として黒潮洗う田辺湾の水運・海防に睨みを利かせた。幕末の慶応4年(1868年)、紀州藩から独立して正式に「紀伊田辺藩」として立藩を認められたが、わずか3年後の明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となった。城下町は外敵の侵入を遅らせるため全ての辻がT字路(丁字路)で交差する防衛設計が施され、現在もその街並み遺構が色濃く残る。紀州藩付家老城郭の形態と幕府海防政策を物語る重要な水城遺跡である。

👀 見どころ

会津川に面して良好に現存し船の出入りと水位調整を兼ね備えた全国的にも極めて珍しい石造遺構「田辺城水門(田辺市指定史跡)」、錦水公園および上屋敷三丁目の民家・駐車場境界に残る「本丸残存石垣」、錦水城の別名の由来とも伝わり藩主や城代家老が重用した本丸名水「殿井戸(井戸跡)」、会津川河口と田辺湾が合流する天然の水堀・水軍停泊地「湊の景観」、城下町の防衛のため意図的にT字路が連続して配置された「上屋敷・城下町割」、南方約1kmに位置する南方熊楠旧邸・顕彰館、水門前に設置された田辺市指定史跡標柱および縄張図付き解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR紀勢本線(きのくに線)紀伊田辺駅から西へ徒歩約15〜20分、または龍神バス・明光バス(湊・本町方面行等)で約5分「錦水公園前」または「田辺大橋」下車徒歩約2分(田辺市上屋敷三丁目・会津川河口左岸錦水公園一帯、本丸標高約4m、会津川水面比高約0〜2m)

車でのアクセス

阪和自動車道・紀勢自動車道 南紀田辺ICから国道42号・県道31号経由で南へ車で約8分、または南紀白浜空港から車で約25分

駐車場

有(錦水公園水門前駐車場、普通車無料約10台)

📍 周辺地図

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