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100名城・続100名城 -
別称 丸山城、谷一木丸山城、お城山、若鮎城、河原城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 あり
標高 98m
最終訪問日 2025-11-30

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者武田高信(羽柴秀吉改修陣城)
築城年永禄年間(1558〜1570年頃武田氏、天正8年・1580年羽柴秀吉本陣改修)
廃城年天正9年(1581年)鳥取城落城に伴い廃城
主な城主武田氏、羽柴氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造独立式 天守形式望楼型
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓あり(模擬天守・お城山展望台河原城)
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:98m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

河原城(かわはらじょう)は、鳥取県鳥取市河原町谷一木に所在する千代川と八東川の合流点南岸に突出した標高約95メートル(比高約70メートル)の独立丘陵「丸山(お城山)」頂部に築かれた中世山城・陣城跡である。戦国期における正式名称は「丸山城」。因幡山名氏の重臣・武田高信の支城(大振袖山城の出城)として築かれたと伝わる。天正8年(1580年)の羽柴秀吉による第一次鳥取城攻略戦において、因幡に進出した秀吉が本陣(陣城)として改修・利用した。山頂の主郭を中心に尾根沿いに段状曲輪が造成され、堀切や削平切岸、土塁跡が確認されている。天正9年の鳥取城落城後は廃城となった。平成6年(1994年)に「ふるさと創生一億円事業」により山頂に三層四階の望楼型模擬天守(お城山展望台河原城・資料館)が建設され、周辺は河原中央公園として整備された。

⚔️ 歴史的役割

因幡南部(八頭郡・智頭往来)と鳥取平野を結ぶ交通・水運の結節点を扼する軍事中枢であり、織田・毛利抗争における因幡戦線の決定的な陣城として歴史的役割を果たした。天正8年、織田信長の命を受けた羽柴秀吉は鳥取城主・山名豊国を屈服させるため因幡へ侵攻。秀吉はこの丸山城に布陣して眼下の千代川流域および鳥取平野を監視・統制し、わずか3ヶ月で豊国を降伏させた。続く天正9年の第二次鳥取城攻め(毛利方吉川経家との兵糧攻め)においても後方連絡線・補給路を抑える重要拠点として機能した。平成の発掘調査では柱穴や中世の堀切・郭跡が検出され、陣城としての土木改修の実態が確認されている。鳥取城の久松山を遠望できる絶妙な距離と高低差を有し、秀吉の因幡平定作戦の兵站・指揮陣地の構造を今に伝える記念碑的要塞跡である。

👀 見どころ

山頂に聳え旧河原町の歴史資料展示や展望フロアを備えた三層四階の「模擬天守(お城山展望台・河原城)」、山頂主郭周辺に遺存する「削平曲輪(郭)」および斜面を遮断した「堀切」・「切岸」・「土塁」跡、標高115mに達する天守最上階展望デッキから眼下に広がる千代川・八東川の合流美・鳥取平野・鳥取砂丘・秀吉が攻めた因幡鳥取城(久松山)を一望する360度大パノラマ眺望、城山山麓一帯に広がる約1,000本の梅林(河原中央公園梅園)、中世城郭建設以前の古代史を伝える城山山頂の「丸山古墳群」跡、天守前に建立された河原城(丸山城)跡碑・詳細な発掘解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR因美線国英駅から北へ徒歩約25分、またはJR山陰本線鳥取駅から日本交通バス(智頭・用瀬方面行)で約25分「河原町総合支所前」下車徒歩約15分、山頂模擬天守前まで遊歩道または車道利用(鳥取市河原町谷一木字丸山・河原中央公園一帯、主郭標高約95m、千代川・八東川合流点平地比高約70m)

車でのアクセス

鳥取自動車道 河原ICから国道53号経由で北へ車で約5分、または鳥取南ICから約10分、鳥取市街地から約20分

駐車場

有(河原中央公園・河原城前駐車場、普通車無料約50台)

📍 周辺地図

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