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100名城・続100名城 -
別称 鳥羽要害、錦城、浮城、城山、鳥羽城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 39.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山水城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者九鬼嘉隆(内藤忠政改修)
築城年文禄3年(1594年)九鬼嘉隆、近世初期内藤氏大改修
廃城年明治4年(1871年)廃藩置県に伴い廃城(明治初年に建造物解体・払下げ)
主な城主九鬼氏、内藤氏、土井氏、松平氏、板倉氏、戸田氏、稲垣氏
指定文化財都道府県指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造独立式 天守形式望楼型
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門あり(元:城門、先:市内光岳寺山門)
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:39.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

鳥羽城(とばじょう)は、三重県鳥羽市鳥羽三丁目に所在する鳥羽湾西岸に突出した標高約40メートル(比高約35メートル)の小高い独立丘陵(城山)頂部に築かれた織豊期海城・山水城跡である。三重県指定史跡。織田信長・豊臣秀吉に仕えた志摩水軍(九鬼水軍)の総帥・九鬼嘉隆が文禄3年(1594年)に築城した。大手門を陸側ではなく直接海に向けて開き、城の周囲三方を海に囲まれた天然の海城構造を持ち、海上に浮かぶ姿から「錦城」「浮城」とも称された。山頂の本丸(主郭)を中心に二の丸、三の丸を段状に配し、本丸には三重天守が聳えていた。現在も本丸周囲を固める織豊期特有の野面積み高石垣(天守台・桝形虎口石垣)が良好に遺存するほか、本丸直下の空堀・堀切、海食崖を削り落とした切岸、籠城用井戸跡が残る。海に向かって城門を開く全国的にも極めて珍しい水軍城の典型例である。

⚔️ 歴史的役割

伊勢湾口および志摩半島の海運・防衛を一手に掌握する水軍総司令部であり、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)における水軍出撃拠点として機能した。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍に与した築城者・九鬼嘉隆に対し、実子・九鬼守隆は東軍(徳川方)に属し、当城を巡って親子による壮絶な海戦・攻城戦が勃発。戦後に守隆が家康から助命を取り付けたものの、嘉隆は答志島で自刃した。守隆は当城を受け継ぎ鳥羽藩を立藩したが、その後の内紛により九鬼氏は丹波綾部・三田へ転封。江戸中期以降は稲垣氏が3万石で入封し、明治維新まで代々鳥羽藩政の中枢を担った。九鬼水軍の根拠地から近世幕藩体制下の譜代大名陣屋・城郭へと変遷を遂げた、日本城郭史上最高峰の水軍要塞遺跡である。

👀 見どころ

城山公園として整備された「本丸跡(主郭)」および二の丸・三の丸の平坦面遺構、本丸縁辺部に堂々たる姿で遺存する九鬼氏時代の武骨な「野面積み高石垣」および「天守台石垣」・「桝形虎口石垣」、大手門を海に向けて開いていた水軍城ならではの縄張構造、山頂から見下ろす風光明媚な鳥羽湾・答志島・三ツ島・鳥羽水族館および伊勢湾口のパノラマ絶景、本丸跡に遺存する籠城用の「古井戸跡」および空堀(堀切)痕跡、市内の菩提寺・光岳寺山門として移築現存する「旧鳥羽城門」、三重県指定史跡標柱・詳細な縄張解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR参宮線および近鉄鳥羽線・志摩線鳥羽駅出口から南東へ徒歩約10〜15分、鳥羽水族館裏手の鳥羽城跡(城山公園)登城口より本丸跡まで徒歩約3〜5分(鳥羽市鳥羽三丁目・鳥羽湾突出独立丘陵頂部一帯、主郭標高約40m、鳥羽湾海面比高約35m)

車でのアクセス

伊勢二見鳥羽ライン 鳥羽ICから国道42号経由で南東へ車で約10分、または伊勢自動車道 伊勢ICから約20分

駐車場

有(城山公園駐車場・鳥羽水族館周辺有料駐車場、普通車約30台)

📍 周辺地図

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