概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
馬場城(ばばじょう)は、石川県輪島市門前町舘分に所在する外浦側の八ヶ川支流沿いに伸びる標高約110メートル(比高約60メートル)の山稜先端部に築かれた中世山城・館城跡である。通称「舘分城」。能登守護・畠山氏の有力被官であった馬場氏が本拠として築いたと伝わる。門前盆地と外浦海岸を結ぶ山間交通路を扼する要衝に位置し、山頂の主郭(本丸)を中心に痩せ尾根上に二の丸、腰曲輪群を階段状に配置した連郭式縄張を持つ。尾根筋には敵の進路を断ち切る鋭利な堀切や空堀、斜面に穿たれた竪堀、主郭を取り巻く土塁、山腹を削り落とした急峻な切岸が良好に残存する。山麓の舘分集落には「舘」の地名が示すように平時の武居家臣団屋敷や館跡が存在したと推定され、中世山城と山麓居館が一体となった典型的な地域領主の拠点構造を今に伝えている。
歴史的役割
外浦(門前・櫛比荘)一帯における能登畠山氏の支配網を支えた在地領主・馬場氏の軍事・統治拠点として重要な役割を果たした。門前町一帯は曹洞宗大本山・總持寺の門前町として発展した宗教的・経済的要衝であり、馬場氏はその外郭防衛および八ヶ川流域の水利・流通を統制した。戦国後期、能登畠山氏の内訌や加賀・能登の一向一揆勢力の浸透に伴い城内の防備が増強された。天正5年(1577年)、越後の上杉謙信が能登へ侵攻して七尾城を攻略すると、門前周辺の諸城館も上杉軍門に降るか破却された。その後、織田信長配下の前田利家による能登領国平定と近世領主支配体制の確立に伴い、軍事拠点としての役目を完全に終えて廃城となった。中世末期における外浦山間部の土豪居館・要害の実態を証言する貴重な遺跡である。
見どころ
八ヶ川支流を見下ろす山頂に削平された「主郭(本丸跡)」および尾根筋に段状に連なる「二の丸・腰曲輪」の削平遺構、主郭背後の尾根続きを峻険に遮断する深大な「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」・「空堀」、主郭縁辺部に遺存する防衛用の「土塁」および山腹を削り落とした威圧的な「切岸」、中世居館(舘)の歴史的痕跡を色濃く残す山麓の舘分集落の町並み、山頂から見晴らす門前町舘分ののどかな山間田園風景および能登外浦山系の山並み眺望