概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小丸山城(こまるやまじょう)は、石川県七尾市馬出町に所在する七尾湾の最奥部、御祓川河口西岸の標高約22メートル(比高約15メートル)の台地先端部に築かれた織豊系平山城跡である。天正9年(1581年)、織田信長より能登一国23万石を与えられた前田利家が、中世の山城であった七尾城を廃して平野・港湾部に近いこの地に新たな本拠として築城した。城域は本丸を中心に二の丸、三の丸、宮元丸、天神丸を巧みに配した連郭・梯郭式縄張を持ち、東を流れる御祓川を天然の堀として利用。各曲輪の周囲には土塁や野面積み石垣(石積み)、深い空堀・堀切、切岸、井戸跡が造成された。天正11年(1583年)に利家が金沢城へ移ると二男・前田利政が能登一国を領して城主となった。現在は小丸山城址公園として整備され、春は桜やツツジの名所として親しまれている。
歴史的役割
前田利家による能登領国支配の原点となった城であり、中世山城支配から近世平山城・城下町支配への歴史的転換を象徴する重要な政治・軍事中枢である。七尾城落城後の能登は情勢が不安定であったが、利家は海上交通・海運交易の結節点である七尾湊を直接掌握するため当城を築き、家臣団の集住や城下町建設を一気に推進した。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて、第2代城主の前田利政は東軍の兄・利長に従わず中立の立場(西軍加担とみなされた)をとったため、戦後に領地を没収され改易となった。その後は前田利長領に編入されて城番が置かれたが、元和2年(1616年)の一国一城令により廃城。以後は加賀藩の七尾町奉行所や陣屋が置かれ、幕末に至るまで能登統治の要塞・行政拠点として機能し続けた。加賀百万石前田家の勃興期を今に伝える記念碑的城郭である。
見どころ
台地最高所に削平された広大な「本丸跡」および周囲を取り巻く「二の丸・三の丸・天神丸」の段状曲輪群、本丸南面や曲輪境界に遺存する織豊期の「野面積み石垣(石積み)」および曲輪縁の「土塁」、本丸と二の丸間を深く遮断する「空堀(堀切)」および段丘崖を活かした「切岸」、本丸内に残る「古井戸跡」、山頂部から見下ろす七尾市街地・御祓川・穏やかな七尾湾(七尾西湾)のパノラマ眺望、城址公園内に建立された「前田利家公・まつの方の像」および小丸山城跡記念碑・詳細な縄張解説案内板、春に公園一帯を華やかに彩る約500本のソメイヨシノとツツジの景観
ご当地グルメ
おいど攻城記録
小丸山城址公園




城址碑



三更橋







氷室跡地

愛宕小路


愛宕山(気多本宮社跡地)

