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100名城・続100名城 -
別称 城ヶ崎城、阿尾要害、阿尾城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 39.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山水城
曲輪配置連郭式
築城者菊池武勝
築城年室町時代後期(天文年間・1532〜1555年頃)
廃城年慶長年間初期(1600年前後前田利秀没後に廃城)
主な城主菊池氏、前田氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:39.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

阿尾城(あおじょう)は、富山県氷見市阿尾に所在する富山湾西岸の海中に鋭く突き出た標高約40メートル(海面比高約35メートル)の険峻な海食崖岬「城ヶ崎」頂部に築かれた中世山水城・海城跡である。氷見市指定史跡。肥後菊池氏の末裔とされる在地国人・菊池武勝によって天文年間に築かれたと伝わる。東・北・南の三方を富山湾の怒濤と断崖絶壁に囲まれた天然の要害で、岬基部から先端に向かって外郭、三の丸、二の丸、本丸、物見台を直線階段状に配した連郭式縄張を持つ。陸続きとなる西側尾根筋を大堀切や二重堀切で峻険に遮断し、空堀、竪堀、土塁、切岸、籠城用井戸跡が良好に遺存する。富山湾の制海権と能登・越中間の沿岸海上交通を掌握した北陸屈指の水軍城郭であり、現在は城ヶ崎公園として遊歩道が整備されている。

⚔️ 歴史的役割

越中・能登国境地帯における水陸交通の結節点を扼する軍事中枢であり、上杉謙信・佐々成政・前田利家による北陸覇権争奪の激動期において極めて重大な役割を果たした。城主の菊池氏は畠山氏・上杉氏に従属していたが、天正期に織田信長勢力が北陸に及ぶと越中を領した佐々成政に属した。しかし天正13年(1585年)、前田利家と佐々成政が対立する中で城主・菊池武勝・安芸守父子は前田方に内応。当城は成政の背後を衝く前田方の前線拠点となり、成政軍による猛攻を頑強に防ぎ切って秀吉の富山征伐(越中平定)の足がかりを築いた。平定後、利家は甥の前田利秀を城主に据え阿尾1万石の居城としたが、利秀没後の慶長年間に廃城となった。三方を海に囲まれた天然の海城構造と戦国末期の境目の城の実態を今に伝える貴重な遺跡である。

👀 見どころ

富山湾に突き出た城ヶ崎岬の先端最高所に削平された「本丸跡(主郭)」および直線状に連なる「二の丸・三の丸・物見台」の曲輪群、陸側の侵入路を峻険に遮断する深大な「大堀切」および「二重堀切」・「竪堀」遺構、主郭縁辺部に遺存する「土塁」および海食崖を削り落とした威圧的な「切岸」、長期籠城を支えた山頂付近の「井戸跡」、本丸展望台から眼下に広がる青い富山湾・奇岩唐島・遠く富山湾越しに海上に浮かぶように聳える3000m級「立山連峰」の世界的絶景パノラマ、城山山麓に建立された氷見市指定史跡標柱および詳細な縄張解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺の城郭マップ

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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR氷見線氷見駅から加越能バス(脇・脇車庫行)で約15分「阿尾の浦」下城口下車徒歩約5分、または城ヶ崎岬登城口より本丸跡まで徒歩登山約10分(氷見市阿尾字城ヶ崎・富山湾西岸突出断崖岬一帯、主郭標高約40m、富山湾海面比高約35m)

車でのアクセス

能越自動車道 氷見北ICから国道160号(能登街道)経由で北へ車で約10分、または氷見ICから約15分

駐車場

有(城ヶ崎公園駐車場・阿尾漁港駐車場、普通車無料約30台)

📍 周辺地図

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