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100名城・続100名城 -
別称 要害山城、栃尾要害、鶴城、舞鶴城、城山、栃尾城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 227.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・階郭式複合
築城者芳賀浄有(本庄房長、長尾景虎改修)
築城年南北朝時代(元弘年間・1331〜1334年頃、戦国期本庄氏・長尾氏大改修)
廃城年慶長15年(1610年)頃廃城
主な城主芳賀氏、本庄氏、長尾氏、神保氏、本庄氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:227.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

栃尾城(とちおじょう)は、新潟県長岡市栃尾町に所在する刈谷田川東岸に聳える独立山塊・要害山(標高約228m、比高約170m)山頂部に築かれた中世屈指の巨大山城跡である。長岡市指定史跡。南北朝期に南朝方の芳賀浄有が築いたことに始まると伝わり、戦国期には中越の有力国衆・本庄氏が拠った。山頂の本丸(実城)を中心に二の丸、三の丸、中の丸、びわ首、狼煙台など無数の郭を放射状の尾根上に連郭・階郭状に展開。背後や尾根筋を断ち切る深大な大堀切、斜面に穿たれた竪堀群、主郭縁辺を巡る土塁、威圧的な切岸、豊富な湧水を誇る古井戸跡(御手洗の池など)が極めて良好に遺存する。若き日の長尾景虎(上杉謙信)が14歳で初陣を飾り旗揚げした「謙信旗揚げの城」として著名であり、山麓の居館や寺院群と一体となった堅牢な山岳要塞の威容を現代に留めている。

⚔️ 歴史的役割

上杉謙信の覇業発祥の地であり、越後中越と下越・会津を結ぶ交通の結節点(刈谷田川流域・会津街道)を扼する軍事中枢として決定的な役割を果たした。天文12年(1543年)、長尾為景の命により春日山城から栃尾城に入城した長尾景虎は、城主・本庄実乃や神保氏の補佐を受け、近隣国人(黒川氏・三条長尾氏ら)の反乱軍を寡兵で撃破する「栃尾城の戦い(景虎初陣)」を演じ、その非凡な軍略を天下に知らしめた。景虎は当城を拠点に中越を平定し、後に春日山城へ入って越後守護代・越後国主へと駆け上がった。天正期の上杉氏会津転封後は堀秀治の配下が入城したが、慶長年間の領国再編に伴い廃城となった。戦国大名上杉謙信の原点として、また越後土豪層の連帯と防衛戦略を具現化した拠点山城として極めて高い歴史的価値を有する。

👀 見どころ

要害山山頂に削平された広大な「本丸跡(実城)」および「二の丸・三の丸・中の丸・びわ首」の重厚な連郭式曲輪群、尾根筋からの敵の進攻を鋭利に遮断する深大な「大堀切」および山腹斜面に掘削された「竪堀群」・「空堀」、主郭縁辺部に明瞭に残存する「土塁」および山腹を削り落とした威圧的な「切岸」、長期籠城を支えた山上の「御手洗の池(古井戸跡)」、本丸跡に立つ長岡市指定史跡標柱・上杉謙信公像・栃尾城跡碑、本丸展望台から見渡す栃尾市街地・刈谷田川・守門岳をはじめとする越後山脈連峰の大パノラマ眺望、城下町に点在する常安寺など謙信公ゆかりの史跡群

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR信越本線・上越新幹線長岡駅東口から越後交通バス(栃尾車庫行)で約50分「栃尾車庫」下車徒歩約15分、大手口・秋葉神社登城口より本丸跡まで徒歩登山約30〜40分(長岡市栃尾町字要害・刈谷田川東岸要害山山頂一帯、主郭標高約228m、刈谷田川平地比高約170m)

車でのアクセス

北陸自動車道 中之島見附ICから県道8号・国道290号経由で東へ車で約30分、または関越自動車道 長岡ICから約40分

駐車場

有(栃尾城址登城口駐車場・秋葉公園駐車場、普通車無料約30台)

📍 周辺地図

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