概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
栃尾城(とちおじょう)は、新潟県長岡市栃尾町に所在する刈谷田川東岸に聳える独立山塊・要害山(標高約228m、比高約170m)山頂部に築かれた中世屈指の巨大山城跡である。長岡市指定史跡。南北朝期に南朝方の芳賀浄有が築いたことに始まると伝わり、戦国期には中越の有力国衆・本庄氏が拠った。山頂の本丸(実城)を中心に二の丸、三の丸、中の丸、びわ首、狼煙台など無数の郭を放射状の尾根上に連郭・階郭状に展開。背後や尾根筋を断ち切る深大な大堀切、斜面に穿たれた竪堀群、主郭縁辺を巡る土塁、威圧的な切岸、豊富な湧水を誇る古井戸跡(御手洗の池など)が極めて良好に遺存する。若き日の長尾景虎(上杉謙信)が14歳で初陣を飾り旗揚げした「謙信旗揚げの城」として著名であり、山麓の居館や寺院群と一体となった堅牢な山岳要塞の威容を現代に留めている。
歴史的役割
上杉謙信の覇業発祥の地であり、越後中越と下越・会津を結ぶ交通の結節点(刈谷田川流域・会津街道)を扼する軍事中枢として決定的な役割を果たした。天文12年(1543年)、長尾為景の命により春日山城から栃尾城に入城した長尾景虎は、城主・本庄実乃や神保氏の補佐を受け、近隣国人(黒川氏・三条長尾氏ら)の反乱軍を寡兵で撃破する「栃尾城の戦い(景虎初陣)」を演じ、その非凡な軍略を天下に知らしめた。景虎は当城を拠点に中越を平定し、後に春日山城へ入って越後守護代・越後国主へと駆け上がった。天正期の上杉氏会津転封後は堀秀治の配下が入城したが、慶長年間の領国再編に伴い廃城となった。戦国大名上杉謙信の原点として、また越後土豪層の連帯と防衛戦略を具現化した拠点山城として極めて高い歴史的価値を有する。
見どころ
要害山山頂に削平された広大な「本丸跡(実城)」および「二の丸・三の丸・中の丸・びわ首」の重厚な連郭式曲輪群、尾根筋からの敵の進攻を鋭利に遮断する深大な「大堀切」および山腹斜面に掘削された「竪堀群」・「空堀」、主郭縁辺部に明瞭に残存する「土塁」および山腹を削り落とした威圧的な「切岸」、長期籠城を支えた山上の「御手洗の池(古井戸跡)」、本丸跡に立つ長岡市指定史跡標柱・上杉謙信公像・栃尾城跡碑、本丸展望台から見渡す栃尾市街地・刈谷田川・守門岳をはじめとする越後山脈連峰の大パノラマ眺望、城下町に点在する常安寺など謙信公ゆかりの史跡群
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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