概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
蒲原城(かんばらじょう)は、静岡県静岡市清水区蒲原に所在する富士川西岸の標高約138メートル(比高約130メートル)の独立丘陵(城山)頂部に築かれた中世屈指の山城跡である。静岡市指定史跡。南北朝期に駿河守護・今川範国が築いたことに始まると伝わり、戦国期には今川氏、後北条氏、甲斐武田氏が激しい争奪戦を繰り広げた。最高所の本丸(主郭)を中心に東へ伸びる主尾根上に二の丸、善福寺丸、三の丸を連郭状に配し、南西斜面には太鼓道場、北側には小金谷丸を配置した堅牢な縄張を持つ。尾根筋を鋭く断ち切る深大な大堀切、急峻な斜面に穿たれた竪堀群、主郭縁辺部を巡る土塁、威圧的な切岸、山頂部の古井戸跡が明瞭に残る。富士川渡河点と東海道(北条・武田・今川の境目)を真下に見下ろす地政学的要衝に位置し、永禄12年(1569年)の武田信玄による猛攻戦「蒲原城の戦い」の舞台として名高い。
歴史的役割
東海道の東西交通と富士川舟運を抑える軍事的最前線拠点であり、三国同盟崩壊後の武田・後北条・徳川による駿河覇権争奪の激戦地として決定的な役割を果たした。永禄11年(1568年)に武田信玄が駿河侵攻を開始すると、今川氏を救援するため後北条氏が当城を占領・改修。北条氏信(北条綱成の弟)を城代とし、北条・今川の精鋭約千名が守備した。しかし永禄12年(1569年)12月、武田勝頼・山県昌景・典厩信豊ら率いる武田軍数千が当城を完全包囲して総攻撃を敢行。城代・氏信をはじめ守備兵の多くが討死・自刃して落城した(蒲原城の戦い)。以後は武田氏の駿東・伊豆・相模方面への前線基地となり、武田氏滅亡後は徳川家康の領掌下に入った。天正18年(1590年)の小田原征伐では豊臣秀吉の軍勢が押し寄せる前に無血開城され、役目を終えて廃城となった。戦国大名の築城術の変遷と激闘の爪痕を刻む第一級の史跡である。
見どころ
山頂に削平された広大な「本丸跡(主郭)」および尾根筋に連なる「二の丸・三の丸・善福寺丸」の連郭式曲輪群、本丸背後や曲輪間を峻険に分断する深大な「大堀切」および斜面に掘削された「竪堀」・「空堀」遺構、主郭縁辺部に遺存する防衛用の「土塁」および山腹を削り落とした威圧的な「切岸」、長期籠城を支えた本丸直下の「古井戸跡」、山頂展望広場から見晴らす駿河湾(富士・蒲原の海)・富士川の清流・伊豆半島および雄大な霊峰富士山の絶景大パノラマ、静岡市指定史跡標柱・北条氏信公自刃の碑・詳細な縄張解説案内板