概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
亀山城(かめやまじょう)は、広島県三次市西河内町下郷に所在する西城川下流域北岸に突き出た標高約240メートル(比高約70メートル、背後主峰標高326メートル)の独立尾根先端部に築かれた中世山城跡である。通称「西河内亀山城」「八幡丸」。備後北部の有力国人・比叡尾山城主三吉氏の重臣である河内隆季によって築かれたと伝わる。南麓を蛇行する西城川の急流と急峻な断崖を天然の堀とし、山頂の主郭(八幡丸)を中心に東から北東へ伸びる尾根上に三段の階段状曲輪(階郭式構造)や北の添山と呼ばれる腰曲輪を配置。背後尾根は三条の堀切で強固に遮断され、斜面には長大な竪堀や連続竪堀(畝状竪堀群)、主郭西から南を覆う土塁、切岸が良好に遺存する。平成18年に地元西河内まちづくり推進協議会により遊歩道や本丸展望台が整備された。
歴史的役割
三次盆地から西城川を遡り庄原・比婆方面および石見国へ抜ける軍事・交通の結節点を抑える三吉氏北東防衛ラインの重要要塞として機能した。城主の河内氏は河内隆季、隆実、治部尉隆孚と3代にわたり居城し、三吉隆亮から「隆」の偏諱を受けるなど三吉家中の中核を担った。当城は西城川舟運を扼するとともに、のちに「石見銀山街道」となる街道分岐点に睨みを利かせ、東方の宿敵・山内首藤氏(甲山城主)の動向監視や尼子氏の南下侵攻に対する警戒にあたった。天文22年(1553年)前後の三吉氏と尼子氏の抗争、毛利元就への帰順期においても北部前哨基地として軍事的重責を果たした。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで毛利氏が防長へ減封され、主家・三吉氏が領地を没収されて退去したことに伴い廃城となった。中世山間盆地縁辺における小規模ながら技巧的な縄張を凝らした国人被官城郭の代表例である。
見どころ
背後の尾根筋を厳重に遮断する三条の「多重堀切」および山腹斜面を深く抉る「竪堀・連続竪堀」遺構、主郭(八幡丸)の西から南面にかけて明瞭に残る「土塁」および山腹を削り落とした険峻な「切岸」、尾根上に整然と段状に展開する「八幡丸(本丸)・二段目・北の添山」の削平曲輪群、南麓を大きく蛇行して城山を削る天然の防壁「西城川の蛇行景観」、本丸展望台から眼下に望む西城川・西河内の田園風景・庄原方面の山並みを見渡すパノラマ眺望、地元により整備された登城道・本丸解説板および郭跡標柱
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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