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100名城・続100名城 -
別称 広峰山要害、八鳥広峰山城、広峰城、広峰山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 519.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者宮氏(久代宮氏・宮高盛等)
築城年室町時代後期(戦国時代)
廃城年慶長5年(1600年)毛利氏防長移封に伴い廃城
主な城主宮氏、東氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:519.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

広峰山城(ひろみねやまじょう)は、広島県庄原市西城町八鳥に所在する西城川の支流・八鳥川東岸に聳える標高約522メートル(比高約210メートル)の険峻な山稜頂部に築かれた中世山城跡である。通称「八鳥広峰山城」。備後北部の名族・久代宮氏(大富山城主)の一族または重臣によって、北方の伯耆境・出雲境を警戒する重要拠点として築かれたと伝わる。八鳥川を挟んだ西方には市指定史跡の蟻腰城(東兵部政幸居館)や有田山の館が位置し、相互に連携して防衛線を形成していた。山頂の主郭を中心に尾根沿いに複数の削平曲輪を段状に配した連郭式縄張を持ち、背後尾根を遮断する堀切や斜面に穿たれた竪堀、切岸、曲輪縁の土塁、籠城用の井戸跡が遺存する。中世たたら製鉄の物流路や陰陽連絡街道を扼する防衛拠点であった。

⚔️ 歴史的役割

備後北部・奴可郡(西城地方)を領有した国人領主・久代宮氏の北方防衛網における軍事中枢の一翼を担った。当城が位置する八鳥地区は、西城川流域から八鳥川を遡り道後山を越えて伯耆国(鳥取県西部)や備中国(新見方面)へと通じる古代・中世の要衝であった。戦国期、大富山城に拠る宮高盛・景盛らは大内氏、尼子氏、毛利氏の三大勢力の狭間で帰趨を迫られたが、北方の尼子氏勢力の南下侵攻を食い止めるため、前哨陣地として広峰山城や蟻腰城などの城砦群を八鳥川沿いに整備した。大永年間には宮氏の付家老・東兵部政幸が蟻腰城に入り周辺6ヶ村を領したが、のちに讒言により滅ぼされるなど内訌の舞台にも連動した。毛利元就の勢力下に入った後は毛利氏の陰陽平定戦を支える後方要塞として機能し、関ヶ原合戦後の毛利氏防長移封に伴い廃城となった。国境地帯における山岳防衛の構造を物語る遺跡である。

👀 見どころ

八鳥川沿いの低地から比高210mの高所に位置し尾根筋を階段状に削平した「主郭および段状曲輪群」、背後尾根からの侵入を防ぐために鋭利に掘削された「堀切」および山腹斜面に落ちる「竪堀」遺構、山腹を急峻に削り落として防禦性を極限まで高めた「切岸」と曲輪縁の「土塁」、山頂付近に遺存し長期籠城を可能にした「古井戸跡」、八鳥川を挟んで対峙する西側の「蟻腰城跡(市指定史跡)」や「陣ヶ丸」と連携した中世城郭ネットワークの立地景観、標高522mの山頂から眼下に見下ろす八鳥の山間盆地および道後山連峰・中国山地の雄大なパノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR芸備線備後西城駅から北東へ車・タクシーで約10分、またはJR木次線油木駅から南西へ車で約12分、登城口(八鳥川東岸集落・林道入口)より主郭まで山道・尾根筋を徒歩登山約25〜30分(庄原市西城町八鳥字城山・八鳥川東岸独立山稜頂部一帯、主郭標高約522m、八鳥集落平地比高約210m)

車でのアクセス

中国自動車道 庄原ICから国道183号・国道314号経由で北東へ車で約35分、または中国横断自動車道尾道松江線 高野ICから車で約30分

駐車場

なし(八鳥集落内林道入口付近の路肩・集会所周辺の駐車可能スペースを利用、約2〜3台)

📍 周辺地図

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