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100名城・続100名城 -
別称 城山、田後城、桐山要害、桐山城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 202.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者塩冶周防守(塩冶高清)
築城年室町時代後期(明応年間・1492〜1501年頃)
廃城年天正9年(1581年)羽柴秀吉の因幡平定に伴い廃城
主な城主塩冶氏、山名氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:202.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

桐山城(きりやまじょう)は、鳥取県岩美郡岩美町大字田後に所在する名勝・浦富海岸の西端、日本海に鋭く突出した標高約136メートル(比高約135メートル)の険峻な山頂部に築かれた中世山城・海城跡である。岩美町指定史跡。明応年間に因幡守護・山名氏の重臣である塩冶周防守が築城したと伝わる。北・西・東の三方を日本海の荒波と海食崖に囲まれた天然の要塞で、山頂の主郭(詰の丸)を中心に南へ伸びる痩せ尾根上に二の丸、三の丸、腰曲輪群を階段状に配した連郭式縄張を持つ。尾根筋には深大な堀切や竪堀が刻まれ、削平切岸や土塁、海防監視用の物見台跡、籠城用井戸跡が極めて明瞭に遺存する。天然の良港である田後港および浦富の湊を眼下に掌握する因幡屈指の水軍要塞であり、現在は山陰海岸ジオパークの景勝地として遊歩道が整備されている。

⚔️ 歴史的役割

因幡国東部(岩井郡)の沿岸警備および山陰道・日本海海運の要衝を統治した在地国衆・塩冶氏の本拠地であり、織田・毛利抗争の最前線として激動の役割を果たした。塩冶氏は出雲塩冶氏の庶流で、因幡守護山名氏に仕えて海運や漁業利権を統制した。天正年間、織田信長配下の羽柴秀吉が山陰平定を進めると、城主・塩冶周防守(高清・兵部少輔)は毛利方・吉川経家に呼応して鳥取城と連携し頑強に抵抗。天正9年(1581年)の秀吉による第二次鳥取城攻めにおいて、秀吉は因幡沿岸水運を遮断するため宮部継潤らの軍勢を派遣して当城を猛攻。激戦の末に落城し、塩冶氏は自刃または没落した。その後鳥取城開城を経て廃城となった。日本海航路を監視する海城・水軍基地の典型例であり、織豊期の中世城郭破却と境目支配の実態を今に伝える貴重な遺跡である。

👀 見どころ

日本海に突き出た標高136mの主郭背後尾根を深大に遮断する「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」遺構、山頂の「主郭(詰の丸跡)」および尾根筋に段状に連なる「二の丸・三の丸」の削平曲輪群、海食崖の険峻な地形を活かした威圧的な「切岸」および曲輪縁の「土塁」、長期籠城を支えた山上の「井戸跡」、山頂展望所から見渡す奇岩連なる浦富海岸(山陰海岸ジオパーク)・青く広がる日本海・田後港のパノラマ絶景、城下町・港町の面影を残す田後集落景観、登城道沿いに設置された岩美町指定史跡標柱・詳細な縄張解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR山陰本線岩美駅から日本交通バス(田後・岩井温泉方面行)で約15分「田後」下車徒歩約5分、田後港北西側の登城口(日和山・桐山遊歩道入口)より山頂主郭まで徒歩登山約15〜20分(岩美郡岩美町大字田後字城山・浦富海岸西端岬山頂一帯、主郭標高約136m、日本海海面比高約135m)

車でのアクセス

山陰近畿自動車道(駟馳山バイパス・岩美道路)岩美ICから国道9号・県道155号網代港線経由で北へ車で約10分、または浦富ICから約8分

駐車場

有(田後港観光駐車場・田後港湾緑地広場、普通車無料約30台)

📍 周辺地図

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