概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
浮津城(うきつじょう)は、高知県室戸市浮津字松本に所在する室津川河口北岸に突き出た標高約60メートル(比高約50メートル)の独立丘陵頂部「城越山」に築かれた中世山城・海城(砦)跡である。通称「城越山」。室戸地域を支配した在地豪族・惟宗氏(室津氏)によって築かれたと伝わり、室津川対岸(南側)の室津浦城とともに室津川河口港(室津港)を挟み込むように防備を固めていた。山頂の主郭は現在愛宕神社の敷地となっており、背後に小高い削平壇が遺存する。北に続く尾根筋は現在墓地等に変貌しているが、南面および東面の急峻な斜面には人工的な切岸地形が明瞭に残る。天正2年(1574年)に長宗我部元親によって攻略され、元親の家臣・北村閑斎が守ったとされる。太平洋に突き出た室戸半島西岸の海上交通と港湾を監視する典型的な湊口要塞の構造を留めている。
歴史的役割
室戸半島西岸の要衝である室津湊の海上交通・水運監視および安芸郡東部の境目防衛拠点として重要な軍事的一翼を担った。室津川河口は天然の良港として古くから船溜まりに利用され、土佐湾から紀伊水道へ向かう海運ルートの補給・退避拠点であった。安芸城の安芸国虎が滅亡した後、東部進出を急ぐ長宗我部元親は天正2年に室戸地域へ侵攻。浮津城・室津浦城・室津城など惟宗氏の防衛拠点は相次いで陥落し、元親は側近の北村閑斎を浮津城に配して室戸半島の制圧と海上哨戒を命じた。長宗我部氏が阿波・土佐国境を完全に掌握した後は、四国平定戦における水軍中継基地および阿波沿岸への出撃拠点として後方支援を担った。関ヶ原合戦後の山内一豊入封期にはすでに役目を終えており、近世を通じて港町の鎮守(愛宕神社)の神域として守られた。中世在地海民・国衆の港湾防備と戦国期領主の海防戦略を物語る遺跡である。
見どころ
室津川河口に面した標高60mの山頂に位置し城館の主郭平坦面をとどめる「愛宕神社境内(主郭跡)」および背後の「一段高い削平壇」、城山の山腹を削り落とし敵船・敵兵の急襲を拒絶した急峻な「切岸」地形、室津川を挟んで対峙し河口水運を挟撃・共同防衛した対岸の「室津浦城跡(城床山)」との連携縄張景観、山頂境内から眼下に見下ろす室津港・室津川河口・浮津の町並みおよび紺碧の太平洋(土佐湾)の大パノラマ眺望、南麓の国道55号から山頂へ続く石段参道(旧登城路)
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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